ポーランドは興味深い国です。かつては非常に強力な国で領土も広く(今のリトアニアやウクライナも領土でした)、周辺諸国と戦って勝っていたほどです。ところが18世紀の後半には国家の体をなさないほど弱体化し、プロイセン・オーストリア・ロシアの三国に領土を分け取りにされて国が消滅してしまいました。
ポーランドが弱くなった理由の一つに、議会が変だったということが挙げられます。貴族を議員とする議会の決議には全員一致の必要がありました。議員の全員が一致することなどほとんどないので、議会が機能せず、国家がまともな方針を出せなかったということです。
16世紀のポーランドは西欧への穀物の輸出が好調だったため、生産量を増やそうとして移民を歓迎しました。それに応じて大量にやってきたのが、西欧諸国でいじめられていたユダヤ人でした。その結果、ナチス・ドイツがユダヤ人を殺すまでは、総人口の一割以上がユダヤ人でした(今はほとんどいません)。
ポーランド人は当初はユダヤ人を歓迎しましたが、次第に嫌うようになりました。ユダヤ人に関しては、「最初は現地の人に歓迎されるが、やがては徹底的に嫌われる」という法則が成立するようです。
この法則はスペインやポルトガルに当てはまりますが、イギリスにも当てはまります。イギリスを征服したノルマン人は、現地人を支配するためにユダヤ人を使おうとして、彼らを歓迎しました。ところが次第に嫌うようになって、13世紀末にはユダヤ人を国外追放しました(1万6千人が追い出されたということです)。
400年経った17世紀後半の清教徒革命後に、イギリスはユダヤ人追放を解除しました。清教徒革命はプロテスタントが行った革命ですが、プロテスタントは英国国教会やカトリックを敵視していました。カトリックはユダヤ人を敵視していたので、プロテスタントから見れば、ユダヤ人は「敵の敵は味方だ」という関係なのです。ここからユダヤ人のイギリスへの食い込みと、イギリスの世界制覇が始まりました。
ポーランドに話を戻しますが、ナチス・ドイツが攻め込んで占領する前のポーランドではユダヤ人が徹底的に嫌われていて、何度も虐殺事件も起きていました。
以下はひと続きのシリーズです。
1月12日 戦後になって、アメリカはユダヤをえこひいきするようになった
1月13日 戦後、アメリカでユダヤ系の政治勢力が大幅に増大した
1月14日 アメリカのユダヤ人は、ロビー活動と政治資金で政治家を操っている
1月15日 アメリカ最大の政治勢力であるキリスト教福音派が、ユダヤ系と同盟した
1月16日 ユダヤ教とキリスト教の違いは、イエスを救済者と認めるか否か
1月18日 神様は、自分の力を見せつけるためにヨブを痛めつけた
1月19日 ヤハウェの神は、自分が全能であることを全世界に広めようとしている
1月21日 19世紀に多くのユダヤ人がロシアから逃げ出してアメリカに渡った
1月23日 ユダヤ人の社会主義者が、百年前からアメリカにたくさんいた
1月24日 ユダヤ人学者がアメリカの科学技術のレベルを上げた
1月27日 ユダヤ人は、最初は現地の人に歓迎されるがやがて嫌われる
1月28日 ポーランド政府は、ユダヤ系の自国民を見殺しにした
1月29日 第二次大戦後に、ポーランド人はユダヤ人を大虐殺した
2月2日 天変地異や核戦争でものすごい数の人類が死ぬ、と聖書は予言している
2月3日 アメリカは、聖書の予言を実現させるためにイスラエルを支援している
2月5日 イギリス国王は中途半端な宗派を強制し、プロテスタントを弾圧した
2月6日 メイフラワー号でやってきたピューリタンは、無許可で移住した
2月7日 初期には、本気で信仰を守るために移住してきた者も多かった
2月8日 大覚醒運動が起きたために、今でもアメリカではキリスト教が強い
2月9日 18世紀のアメリカでは、ちゃんとした信仰を持っていなければ劣等感にさいなまれた
2月10日 植民地時代のアメリカでは、社会的に活躍するにもちゃんとした信仰を持つ必要があった
2月11日 アメリカの州立教会の牧師は、難しい説教を長時間した
2月14日 巨大な教会(メガ・チャーチ)が続々と誕生している
2月16日 アメリカのキリスト教は、自己啓発産業になりつつある
2月25日 アメリカはプロテスタントの信仰によって老化が進んでいる