「アメリカは、イギリスで宗教的迫害を受けたピューリタンが作った」という一種の建国神話は、メイフラワー号に乗ったピューリタンがアメリカで植民地を開いた、という史実から来ました。
メイフラワー号がイギリスの港を出港した1620年より100年ほど前に、スイスやオランダからカルヴィン派という非常に厳格なプロテスタントの信仰がイギリスにも入り込みました。
これをヘンリー8世という好色な国王は、自分のプライベートなことのために利用しました。つまり自分の離婚を認めようとしないカトリック教会を追放し、自分の意のままになるプロテスタントの英国国教会を作り、それをイギリスの公式な宗教にしたのです。
西欧の国王たちは、伝統的にカトリック教会を大事にしてきました。それはカトリック教会の組織が民衆の心をがっちり支配しているので、カトリック教会と仲良くしていれば国王は間接的に民心を掌握できるからです。
ところがプロテスタントはローマ教皇だけでなく、聖職者という存在を認めません。ヘンリー8世としては、プロテスタントをそのまま認めれば、信者を管理統率する聖職者がいないので自分の権力基盤が弱くなって困ります。そこでプロテスタントの教義を多く取り入れはするが、聖職者のがっちりとした組織は残してそのトップは国王が務めるという、カトリックとプロテスタントを折衷した宗派を作りました(1534年)。これが英国国教会です。
そしてヘンリー8世は、「全てのイギリス人は英国国教会に入信せよ」と命令しました。その後のイギリスは、カトリック・プロテスタント・英国国教会が三つ巴で争っていました。
プロテスタントの中の頑固な連中は、英国国教会に入るのを拒否し国王に抵抗をしていました。しかし多くのプロテスタントは、国王の命令に従って英国国教会に入り、それを中から改革していこうとしました。
彼らは英国国教会を純粋(ピュアー)にしようとしていたので、ピューリタンと呼ばれるようになりました。つまり、プロテスタントの他にピューリタンという宗派があるわけではなく、ピューリタンはプロテスタントの別称なのです。
イギリス国王は、英国国教会の中の異分子であるピューリタンを一生懸命に弾圧していました。これが、メイフラワー号に乗ったピューリタンがイギリスの港を出港した1620年のイギリスの情勢です。
以下はひと続きのシリーズです。
1月12日 戦後になって、アメリカはユダヤをえこひいきするようになった
1月13日 戦後、アメリカでユダヤ系の政治勢力が大幅に増大した
1月14日 アメリカのユダヤ人は、ロビー活動と政治資金で政治家を操っている
1月15日 アメリカ最大の政治勢力であるキリスト教福音派が、ユダヤ系と同盟した
1月16日 ユダヤ教とキリスト教の違いは、イエスを救済者と認めるか否か
1月18日 神様は、自分の力を見せつけるためにヨブを痛めつけた
1月19日 ヤハウェの神は、自分が全能であることを全世界に広めようとしている
1月21日 19世紀に多くのユダヤ人がロシアから逃げ出してアメリカに渡った
1月23日 ユダヤ人の社会主義者が、百年前からアメリカにたくさんいた
1月24日 ユダヤ人学者がアメリカの科学技術のレベルを上げた
1月27日 ユダヤ人は、最初は現地の人に歓迎されるがやがて嫌われる
1月28日 ポーランド政府は、ユダヤ系の自国民を見殺しにした
1月29日 第二次大戦後に、ポーランド人はユダヤ人を大虐殺した
2月2日 天変地異や核戦争でものすごい数の人類が死ぬ、と聖書は予言している
2月3日 アメリカは、聖書の予言を実現させるためにイスラエルを支援している
2月5日 イギリス国王は中途半端な宗派を強制し、プロテスタントを弾圧した
2月6日 メイフラワー号でやってきたピューリタンは、無許可で移住した
2月7日 初期には、本気で信仰を守るために移住してきた者も多かった
2月8日 大覚醒運動が起きたために、今でもアメリカではキリスト教が強い
2月9日 18世紀のアメリカでは、ちゃんとした信仰を持っていなければ劣等感にさいなまれた
2月10日 植民地時代のアメリカでは、社会的に活躍するにもちゃんとした信仰を持つ必要があった
2月11日 アメリカの州立教会の牧師は、難しい説教を長時間した
2月14日 巨大な教会(メガ・チャーチ)が続々と誕生している
2月16日 アメリカのキリスト教は、自己啓発産業になりつつある
2月25日 アメリカはプロテスタントの信仰によって老化が進んでいる