キリスト教の信仰から生まれた自由と平等は、「国民は、たとえ血縁関係にない他人であっても仲間であり、互いに助け合わなければならない。仲間を正当な理由がないのに差別してはならない」という考え方です。
この考え方に基づいて、欧米諸国は近代国家を作り上げました。さらに産業革命をもたらし、国民を経済的に豊かにしました(自動車産業)。
欧米諸国は、自由と平等の考え方が国民に普及している国を文明国と考えていました。そしてこのような文明国は対等に扱うが、そうでない国は野蛮国として植民地にしようとしました(泰西国法論)。
幕末の日本は西欧列強と不平等条約を無理矢理に結ばされ、うかうかしていれば植民地にされそうでした。そこで武士たちが明治維新を起こして国を近代化し、日本の独立を維持しようとしました。
明治維新の直後(明治4年)に、政府は不平等条約を改正しようとして岩倉使節団を欧米に派遣しました。一行が欧米で条約改正交渉をした結果、日本が自由と平等の原則を受け入れて文明国になるしか条約改正の方法がないことを理解しました(岩倉使節団、岩倉使節団とキリスト教)。
日本は条約改正と富国強兵のために文明開化を推進しました。鹿鳴館で西欧式の夜会を催して、日本の文明開化ぶりを欧米諸国に宣伝することまでしました(鹿鳴館)が、もっとも重要なのが憲法を制定して国民に自由と平等を保障することでした。
伊藤博文は憲法制定の重要性をかねてより主張していて、憲法を深く研究していました(伊藤博文)。日本が憲法を制定する時に一番問題になったのは、キリスト教でした。憲法の中心となる自由と平等の考え方はキリスト教の教義そのものなのに、日本にはキリスト教の伝統がないかたです。
伊藤博文とそのスタッフは日本の伝統を考察し、神道に自由・平等と同じ考え方があることを見つけました。そこで日本の憲法の中心にイエス・キリストの代わりに天皇陛下を据えて、問題を解決しました(大日本帝国憲法、大日本帝国憲法で誠を規定した)。
大日本帝国憲法制定は大成功で、これによって日本は不平等条約を改正でき、近代国家へと飛躍しました。キリスト教から来た自由と平等と同じ機能を、神道から来た誠と役目の考え方が果たしたのです。
日本がアジア諸国の中で唯一独立を守り近代化に成功したのは、誠と役目の考え方があったからです。