大日本帝国憲法

西欧留学から帰ってきた伊藤博文は、憲法草案を作り始めました。 彼を補佐したのが、井上毅と金子堅太郎です。

明治初期の司法省は、フランスの法律を翻訳しただけの法律を乱造していましたが、井上毅は日本の伝統に沿った法律を制定すべきだと考え、時の司法大臣と意見が合いませんでした。

彼はフランスやドイツで法律を学ぶ一方、国学に関する深い知識がありました。井上毅のこういうところを、博文は気に入っていたようです。

金子堅太郎は、伊藤や井上より一回りぐらい若く、ハーバード大学ロースクールで学んだ典型的な秀才でした。

憲法を制定する目的は、不平等条約を改正し、富国強兵を実現することです。そのためには、憲法で国民に自由と平等の権利を保障しなければなりません。ところが、自由(Freedom、Liberty)や平等(equality)はキリスト教の信仰から生まれたものなのに、日本人はキリスト教など知りません。

三人は、この難問を解決しなければなりませんでした。

明治21年、伊藤博文は枢密院(憲法に関する問題を審議する役所)を作り、その議長に就任しました。その就任演説で彼は、次のような趣旨のことを言っています。

「西欧の憲法はキリスト教を基軸にしている。基軸がなければ憲法は機能しない。日本では、天皇陛下をキリスト教の代わりに基軸にすべきである」

キリスト教の神 → イエス・キリスト
天照大神    → 天皇陛下

という図式を考えたわけです。後で詳しく説明しますが、キリスト教と神道は教義がよく似ているのです。