日本は清と朝鮮に対し、朝鮮が独立国であることを認めさせた
日朝修好条規は、朝鮮が独立した主権国家であると規定しています。日本はこの条項によって朝鮮が清の属国ではないと主張したのですが、朝鮮はその意味が良く分からなかったようで、反対していません。
日朝修好条規は、朝鮮が独立した主権国家であると規定しています。日本はこの条項によって朝鮮が清の属国ではないと主張したのですが、朝鮮はその意味が良く分からなかったようで、反対していません。
日本は朝鮮を援助して自立させ、清やロシアの影響力を朝鮮から取り除こうとしました。朝鮮自体を支配しようとは考えておらず、独立した朝鮮と日本が軍事同盟を結べたら良い、ということを考えていました。
清は、欧米列強が勝手に決めた「日本は帝国である」という国際的約束事に納得しませんでしたが、受け入れました。支那は昔から、「支那のみが文明国で...
これまで、古代から19世紀半ば(日本の明治維新が起きた時期)までの朝鮮の本当の歴史を見てきました。我々が学校で教わったりマスコミが流したりし...
「貢女」は、朝鮮が支那のご機嫌を取り結ぶための仕組みとして始まりました。それが朝鮮内部で出世するための手段として朝鮮人両班に利用されるようになりました。支那から見たら、「貢女」は朝鮮の内部情報を収集するスパイのような存在なのです。
歴代の朝鮮の王朝は、高価な物の代りに少年や少女を奉っていたのです。少年は宦官用でした。男の生殖器を切除するのは非常に危険なので、誰もなりたがりません。少女は「性奴隷」用でした。 美少女を贈る(貢女)というのは性奴隷にするためです。
高麗時代には馬や牛が曳く荷車があったのですが、李氏朝鮮時代には車輪を作る技術が失われ、荷車がなくなってしまいました。
両班には、商人や民家から代価を払わずに物を強奪して良いという特権があり、それを日本に来ても、やっていたということです。朝鮮の身分差別というのは日本人の想像を超えるもので、むしろインドのカースト制度に近いです。
朝鮮人は両班・中人(下級官僚階級)・常人・奴婢・白丁の五種類に分かれていました。現代でも、朝鮮人の差別意識の強烈さは相変わらずです。
李氏朝鮮の両班の派閥争いで勝負がつくと、勝った方の派閥は負けた側を殲滅します。官位を奪って隠居させるなどという日本式の生ぬるい処罰ではなく、九族を皆殺しにする処刑法までありました。本人を殺すだけでなく、その高祖父(祖父の祖父)から玄孫(孫の孫)まで殺すのが「九族皆殺し」です。