支那人は他人が苦しんでいるのを見ても、さして心を痛めない
支那人にとって他人は、騙して利用するためにあるのです。『毛沢東の私生活』を読めば、毛沢東とその側近の者たちは互いに相手を利用しようとしているだけだということが分かります。
支那人にとって他人は、騙して利用するためにあるのです。『毛沢東の私生活』を読めば、毛沢東とその側近の者たちは互いに相手を利用しようとしているだけだということが分かります。
儒教の五倫は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の五つの人間関係を守りなさいという教えです。この五つの人間関係には、他人どうしの人間関係に関する教えが含まれていません。
支那では、王朝末期の内乱や毛沢東のやった大躍進運動などの政治的な動乱によって、信じられないほど多くの国民が死んでいます。このようなことになる...
下放が終わり、習近平が村を離れる際、農民が多数見送りにきて、別れの辛さで互いに涙を流し、名残惜しさで農民がなかなか立ち去らず、旅館に1泊して記念写真まで撮ってようやく別れたというエピソードがあります。
習近平の父親である習仲勲は、共産党中央政治局委員という大幹部だったのです。
支那軍が尖閣列島に居座って、海上保安庁の巡視船を武力で威嚇して追い払うという派手なことをやったのにもかかわらず、自衛隊が反撃に出動しなければ、世界中が今の日本の本質を直ちに理解します。
支那の支配層は常に派閥争いが激しく、民は過酷な支配に対して常に不満を持っています。だから支那は、国民の不満をそらすために非常に好戦的です
支那の皇帝が周辺国になめられたら、国内で信望を失い内乱が起きるのです。王朝を存続させようと思うならば、何が何でも周辺国に挨拶させなければなりません。
「朝貢」というのは、支那の皇帝に手土産を持っていくという意味です。支那の国内で皇帝に仕えていた家来が皇帝に会うときに手土産を奉ることもあるし、外国の王が支那の皇帝に使いを送り、その使いが皇帝に会うときに、手土産を渡すこともあります。
石平先生は、いまの支那人は皇帝を待望している、と書いています。「そうでもなければ、親の七光りでトップになっただけで何の実績もない習近平が、憲法を改正して終身国家主席になれるわけがないではないか」というわけです。