昨日、「支那人には他人どうしが助け合う考え方がない」とブログに書きました。これに対して、儒教の道徳があるではないか、という反論があるかもしれません。
儒教には五常といって、仁・義・礼・智・信という道徳があります。これは、人間の心のあるべき状態を指しているのであって、人間関係がどうあるべきかを説いている教えではありません。人間関係に関する道徳としては、五倫があります。
五倫は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の五つの人間関係を守りなさいという教えです。この五つの人間関係には、他人どうしの人間関係に関する教えが含まれていません。敢えて言えば、君臣という人間関係がほんの少し関係するだけです。王が立派な人物で、臣下がまじめに仕えれば、民は幸せになります。臣下が一生懸命努力すれば、間接的に他人を助けることが可能です。
ところが、君臣関係は最重要な道徳ではありません。五倫の順番を見ても分かるように、一番大事なのは父子関係です。つまり父子関係(宗族)を大事にして、さらに余裕があれば君臣関係にも気を遣いなさいということです。
広い支那には、無数の宗族が散在していて、それぞれが生き残るために宗族の結束を固めていました。その後に国家というものが生まれたのです。国王は君臣関係の道徳を最重要にしたかったのですが、父子関係の道徳がすでに強固にあったので、それを押しのけて君臣関係をトップの道徳にすることができませんでした。
儒教は、父親が死んだら子は三年間の喪に服することを定めています。三年間も仕事を放り出して親子関係の道徳を守るのが、支那人の正しい態度なのです。五倫を重視した孟子は、『孟子』という儒教書を書きました。その中の「尽心章」には次のような孟子と弟子とのやりとりがあります。
弟子:君主の父親が殺人罪を犯して逮捕されたとします。その父が息子である君主の前に引っ立てられてきました。息子である君主はどのような態度をとるべきでしょうか?
孟子:君主はその位を辞任して民間人となれ。そうすれば父親を罰する義務もなくなる。そうして、父親を背負って人里離れた場所に逃げ、そこで父親を養え。
以下はひと続きのシリーズです。
3月3日 李志綏は、嫌々ながら毛沢東の主治医を22年間つとめた
3月5日 毛沢東は、自分の主治医を選ぶのに、他人任せにしなかった
3月14日 毛沢東は、支那がまっとうな共産主義国家であることを証明するために、大躍進運動を始めた
3月16日 大躍進運動の失敗により、毛沢東の権力基盤が揺らいだ
3月17日 毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした
3月18日 文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった
3月19日 毛沢東は、共産党の官僚たちをやっつけるために軍隊も使った
3月20日 毛沢東は劉少奇と鄧小平を失脚させ、林彪を後継者にした
3月21日 毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした
3月22日 毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった
3月24日 秦は諸侯を滅ぼして全土を直轄支配したが、すぐに滅びた
3月29日 朝貢は手土産を贈るという意味で、臣従を意味しない
3月30日 支那の皇帝は、周辺国からなめられたら、武力侵攻する
4月1日 支那の尖閣列島侵略に備えて、憲法問題を処理しておかなければならない