支那の皇帝は、周辺諸国から恐れられ慕われているからこそ、国内のライバルをおとなしくさせて国を治めることが出来ます。もしも皇帝が周辺国から挨拶されなければ、民の信頼を回復するために、その国を侵略しなければなりません。
1949年、支那共産党は国内を統一し、毛沢東は支那の実質的な皇帝になりました。その直後に、彼はウイグルとチベットを侵略しました。また朝鮮戦争が起きて北朝鮮がアメリカに攻め込まれた時は、アメリカ軍と戦うことで、自分の力を自国民に示しました。
北朝鮮の実質的な初代国王である金日成は、ソ連軍の将校でした。その若造をソ連は北朝鮮のボスにしました。従って北朝鮮はソ連の衛星国として誕生したのであって、毛沢東が冊封した国ではありません。しかしその後ソ連が崩壊して北朝鮮に対する影響力が無くなった結果、いまは支那が冊封したような外観を呈しています。
どこの国でも、国内の不満が高まると、外国と戦争して国民の不満を外に向けます。支那の場合は特にその傾向が激しいのです。支那の支配層は常に派閥争いが激しく、民は過酷な支配に対して常に不満を持っています。だから支那は、非常に好戦的です。
いま、支那はアメリカから激しく圧迫され、国内は不況によって失業者が激増し、国民の不満が急激に高まっています。だから習近平が自分の地位を維持するためには、「ちょっとした戦争」をして、国民の不満を外に向けさせるべき状況になっているのです。
アメリカ相手に本格的な戦争をすれば支那が滅びてしまいます。「ちょっとした戦争」というのは、まともに反撃する気のない国と軽く戦って、「勝った勝った」と大宣伝して国民を満足させるような戦争です。
このような「ちょっとした戦争」の相手に好都合なのが、日本です。尖閣諸島は無人ですから、その周辺で戦闘しても日本の民間人の被害はありません。支那の軍艦が「台風を避けるため」と称して尖閣諸島に上陸しても、日本国憲法の制約上自衛隊は支那と戦争をすることができません。
そこで「直ちに退去せよ」と警告をしに来た海上保安庁の巡視船を追い払って島に居座り、「勝った勝った」と支那の国内向けに宣伝することは、大いにありえます。支那は「尖閣列島は支那固有の領土であり、それを犯した日本軍を追っ払っただけだ。支那が日本に戦争を仕掛けたわけではない」と主張するはずです。
以下はひと続きのシリーズです。
3月3日 李志綏は、嫌々ながら毛沢東の主治医を22年間つとめた
3月5日 毛沢東は、自分の主治医を選ぶのに、他人任せにしなかった
3月14日 毛沢東は、支那がまっとうな共産主義国家であることを証明するために、大躍進運動を始めた
3月16日 大躍進運動の失敗により、毛沢東の権力基盤が揺らいだ
3月17日 毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした
3月18日 文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった
3月19日 毛沢東は、共産党の官僚たちをやっつけるために軍隊も使った
3月20日 毛沢東は劉少奇と鄧小平を失脚させ、林彪を後継者にした
3月21日 毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした
3月22日 毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった
3月24日 秦は諸侯を滅ぼして全土を直轄支配したが、すぐに滅びた
3月29日 朝貢は手土産を贈るという意味で、臣従を意味しない
3月30日 支那の皇帝は、周辺国からなめられたら、武力侵攻する
4月1日 支那の尖閣列島侵略に備えて、憲法問題を処理しておかなければならない