助け合う仲間を同じ民族の仲間に限定しよう、という考えに戻りつつある
西欧で民族が統一国家を作った18世紀以後は、同じ言葉を話す同一民族を仲間と考えるようになり、宗派が違っていてもキリスト教徒であれば良い、ということになっていきました
西欧で民族が統一国家を作った18世紀以後は、同じ言葉を話す同一民族を仲間と考えるようになり、宗派が違っていてもキリスト教徒であれば良い、ということになっていきました
キリスト教は、仏教や儒教と違って、修業や教義の勉強が必要だとは考えていません。
人間がイエス・キリストをいちずに信じたら、イエス・キリストはその人間を神様に推薦します。そうしたら、神様はその人間に自分の魂の一部を分け与え、それを風に載せて人間に送り届けます。
原罪とは欲望を抑えられないことで、イエス・キリストはそのコントロールの仕方を人間に教えにきました。
明治初期に、キリスト教用語のFreedomに、仏教用語の自由を訳語としてあてはめました。キリスト教と仏教は宗教の教義の基本構造がまるで違うので、Freedomと自由の意味はかなり違います。
東アジア諸民族は非常に差別意識が旺盛で、その点で仏教による平等観に慣れている日本人とは非常に違います。欧米の白人の有色人種に対する差別は、今...
日本と他の東アジア諸国との間には共通の文化が無いだけではなく、彼らの感覚では日本人は格下です。
欧米社会で人種差別が強まったり弱まったり変化しているのは、彼ら内部の事情の変化によるもので、日本の努力とは基本的に無関係です。
100年前に日本が人種差別撤廃を主張したために、欧米諸国は改めて日本が異分子だということを認識しました。一方日本国内では、欧米列強が日本の提案を拒否したことで、白人に対する敵愾心が増しました。
日本人は大乗仏教の影響で、「肌の色が違っても人間の中身に違いがあるわけではない。みな平等だ」という考えを心の底で信じています。