神道は日本にしかありませんが、その一方で支那人や朝鮮人と違って日本人は儒教を分かっていません。アジアの中の主要国で、大乗仏教が栄えているのは日本だけです(インドでは仏教は消滅した、支那では一時的に仏教が栄えた、大乗仏教が栄えているのは日本だけ)。
支那や朝鮮には、他人と助け合うというキリスト教の自由や神道の誠の考え方がほとんどありません。それは血縁関係にある者との関係を重視して、他人に対しては無関心だからです(孟子)。このような国々は、近代国家を作ることができません(孝を優先する社会は近代化できない)。
要するに、日本人の考え方は他のアジア人と全く違うのです(日本人は、他のアジア人と考え方が全く違う)。
江戸時代の支配層や学者の誰一人として、支那に行った者はいません(支那に、二里近づいた)。それどころか幕末までの千年間、日本は外国と国交がありませんでした(日本は千年間鎖国していた)。朝鮮国王の使いが江戸の将軍にご機嫌伺いにきたことはありましたが、これは国交ではありません(朝鮮通信使)。
明治になって開国した時、日本は外国に関する正確な情報を全く持っていませんでした。ところが書籍だけは昔から日本に入っていたので、「日本と東アジア諸国は、漢字・儒教・仏教など共通の文化を持っているから、お互いに理解することができる」と勘違いしました。
そこで、勝海舟や吉田松陰などの著名な日本人が「日本と支那や朝鮮などの東アジア諸国はお互いに同盟して、欧米列強の圧力に対抗しよう」という大アジア主義を主張し、多くの日本人の共感を得ました(大アジア主義)。
この大アジア主義は日本の外交政策に大きな影響を与え続けましたが、大アジア主義が事実に基づかない幻想です。このために日本の東アジア政策は失敗し、最後にはこれが原因でアメリカと戦争までして負けてしまいました(中華思想が日本のアジア政策の障害だった、今度はロシアと戦うはめになった、満州は支那ではない、満州は支那のものだ、と言い出した、支那人には、誠がない)。
このように大アジア主義の幻想によって日本は散々な目にあったにもかかわらず、いまだに東アジア諸国と信頼関係が築けると思い込んでいる人がいます。このような誤解を解く努力を継続的に続けていかなければなりません(今でも大アジア主義者がいる)。