満州は支那ではない

満州には、満州人(女真族)が古来から住んでいて、支那の一部だったことはありません。満州人の男性はもっぱら狩猟を行っていて、農耕を満州人の女性と朝鮮人奴隷がしていました。
17世紀初めに満州人は支那に攻め込んで明王朝を滅ぼし、新たに清という王朝を立てました。

支那に攻め込んで清を作った後でも、満州人は満州を自分たちだけの土地にしておこうと考え、支那人の入植を禁止していました。

支那人が満州に移住するようになったのは、20世紀になってからです。1900年、排外主義を唱える義和団の暴動を支持して、清朝は欧米列強や日本に宣戦布告しました(北清事変)。

清朝はこの戦争に負けて、8ヶ国に莫大な賠償金を支払うはめになりました。そこで満州に支那人を入植させ、彼らから税金をとって賠償金の財源にすることにしました。この時からものすごい勢いで支那人が満州に流入し始めました。

ロシアは北清事変のどさくさに紛れて、満州に軍隊を進駐させ鉄道を敷き、さらに朝鮮をうかがうようになりました。朝鮮がロシア領になったら日本の安全保障がピンチになるので、日本はそれを認めるわけにいかず、日露戦争になりました。

日本は日露戦争に勝ち、遼東半島の租借権と南満州鉄道をロシアから譲り受けました。さらに日本とロシアは協商を締結して、北満州はロシアの勢力圏、南満州は日本の勢力圏、ということで合意しました。

結局日本は、国の安全保障を確保するために日清戦争・日露戦争を戦い、結果的に朝鮮だけでなく、南満州で様々な権益を得ました。

日露戦争の5年後に辛亥革命が起き、清朝が倒れました。この時に満州人は支那人から大虐殺されたので、自分の出自を隠し支那人のふりをして生き延びようとしました。そのために「ここは自分たちの土地だ」と主張する満州人の集団がなく、満州は無主の土地になってしまいました。

その無主の土地を実効支配をしていたのがロシアと日本だったのです。