日本は戦争に負けてアメリカに占領されて独立を失い、軍隊は解散させられ天皇陛下は主権者の地位から引きずりおろされてしまいました。大日本帝国憲法の前提が破壊されたわけで、この憲法は自動的に消滅しました。
「大日本帝国憲法が悪い憲法だったために、戦前の日本は暗黒時代だった」という意見が今では常識になっています。その例としてよく引き合いに出されるのが昭和初期に起きた「天皇機関説事件」です(天皇機関説)。
ところがこの事件の被害者だった東京帝国大学教授の美濃部達吉博士自身が、「大日本帝国憲法は良くできているから、わざわざ別の憲法に作り変える必要なない」という趣旨の意見書を政府に提出しています(新憲法は不要)。
実際、大日本帝国憲法は国民に自由と平等を保障し、三権分立の制度を採用して国民の権利を権力者から守る仕組みを備えていました。この憲法が出来たときは、「良い憲法だ」と国民や外国から高く評価されました。
日本を占領したアメリカ軍が強引に日本人に日本国憲法を作らせたのですが、この事実は公表されていません。だから日本人は誰もこの憲法を作った覚えがないのに、表面上は自分たちが作った、ということになっています(日本国憲法は変なもの)。
今の学者はキリスト教国のアメリカが作ったという事実を国民に悟られないようにするためか、自由と平等の考え方がキリスト教の信仰から生まれたことを一切説明しません。ところが戦前の学者はこのことを学生たちに教えていました(戦前の日本人は自由がキリスト教から来たことを知っていた)。
日本国憲法を読んでも、自由と平等という考え方がどういう哲学に基づいて作られたのか明らかになっていません。キリスト教の信仰から来たのか、神道から来たのか、仏様が恵んでくださったのか、はっきりしないのです(日本国憲法は自由と平等の素性を隠している)。
明治維新が神道の考え方によって成し遂げられたため、戦前の国家の仕組みは神道の考えに基づいていました。ところが敗戦によって「神道が日本を滅ぼした」ということになり、その反動で仏教の発想が優勢になりました(敗戦後、仏教が優勢になった)。
戦後は、国家や社会を仏教の発想によって考える傾向が強くなってきました。憲法に規定されている自由と平等を仏教の信仰で解釈するようになり(キリスト教の自由と仏教の自由の混同)、さらには国家そのものを仏教の考え方によって解釈するようになりました。
仏教は出家して社会を離脱して修行することが立派だと考えます。そこから、俗世は未熟者の集まりで、国家や社会はくだらない悪いものだと考えます。戦後「国家は悪いことをする」と考える人が増えたのは、このためです(国家は悪いことをする)。