国家は悪いことをする

キリスト教は、隣人愛の心で他人どうしが互いに助け合うことを重視します。他人が大勢いっしょに暮しているのが社会や国家ですから、キリスト教は社会や国家をとても大事なものと考えます。
神道も社会や国家を大事に考えていて、人は互いに誠意を以って接することを教えています。

大事な国家の運営を少数の権力者に任せっぱなしにしておくと悪いことをするかもしれないので、常にこれを監視していなければなりません。この考え方が三権分立の制度です。裁判所と国会が政府の行動をチェックするわけです。

大日本帝国憲法も三権分立の制度を採用しているので、国家を大事なものと考えていることが分かります。

仏教は、家族や友人を捨て出家して一人で暮らすのを理想と考えているので、濃厚な人間関係を好みません。人が互いに頼りあって暮らしている社会は、未熟者たちの集まりだと考えます。社会や国家は、低レベルのくだらないものなのです。

仏教は国家を、監視しながらもうまく運営していくものではなく、存在それ自体が汚辱に満ち悪いものだと考えます。だから強くしてはなりません。

敗戦で仏教の発想が強くなったのにつれて、国家を悪いものだとする考え方が勢力を増やしていきました。国が何か新しいことをやろうとしても、その内容いかんを問わず、非常に激しい抵抗に遭います。

反対勢力は、それが社会にとって有益か否かで判断するのではなく、「国家がまた何か悪いことをして力を増そうとしている」と考えるのです。

いわゆる日本の野党とかサヨクとか言われている集団は、社会主義を信奉しているように一般的に考えられています。しかしその実際の行動を分析してみると、「隠れ仏教徒」だということが分かります。

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