平等、儒教、尊王思想(要約4)

日本にはキリスト教・神道の信仰から来た平等観と仏教の信仰から来た平等観の、二つの異なる平等観があります。

キリスト教や神道は、人間はそれぞれ社会の中で異なった役目があると考えます。役目がそれぞれ違うのは神様がそう決めたからであって、神様に「不平等だ」と文句を言ってもしかたがありません。

役目以外のプライベートな部分でみんなを平等に扱おうというのが、キリスト教や神道の平等の考え方です(王様や天皇陛下がおられても平等酔っ払い運転をすれば誰でも逮捕されるモーゼイエス・キリストキリスト教と神道キリスト教の天職と神道の役目)。

インドは、カースト制度があって人種や階級による差別がきつい国ですが、おしゃか様はそのような差別に反対しました( おしゃか様は差別を認めなかった)。

後の大乗仏教になると無差別主義がエスカレートしていって、各人の間に能力や個性の差などないというように主張するようになりました(無量寿経運動会の徒競走)。

日本国憲法は、平等という考え方がキリスト教の信仰から生まれてきたということを隠しました。そのために平等という権利を仏教の信仰から解釈することが可能になってしまい、悪平等という社会現象が起きてしまいました(悪平等)。

江戸時代のはじめに、水戸藩の藩主である徳川光圀(水戸黄門)は、「日本は、昔から儒教の教えが根付いていた。天皇陛下は儒教的な道徳を実践していた」ということを証明しようとして、彰考館という歴史研究所を作り学者を集めて『大日本史』という歴史書を編纂させました(水戸黄門の父親は変わった人だった光圀自身も変わった人だった歴史ブームが起きた光圀も歴史書を書くことにした)。

ところが、彰考館の学者たちが歴史を調べていくうちに、「日本人は儒教がどういう教えか分かっていない。天皇陛下に対して儒教の教えに従った統治を期待しているわけではない」ということが分かってきました(後白河天皇は、親を殺せと命令した帝王が道徳的でなくても、王朝が滅びない領土を失っても、王朝が滅びない)。

儒教は皇帝に対して、道徳をしっかりと守って行動することを求めています。しかし、日本人は天皇陛下に対してそのようなことを求めてはいません。天照大神(神道の神様)を祀り、日本の安全と繁栄を祈り、神の意思を日本人に伝える役割を期待しているのです(イエス・キリストと天皇陛下の役割は同じ)。

日本人は古来から神道を信じ、その教えに従って天皇陛下を敬い、日本の元首だと考えているのです。彰考館の学者は次第にこのことが分かってきました。彼らの学説が「尊王思想」です。幕末になって尊王思想が日本中に普及し、明治維新の思想的な原動力になりました(尊王思想)。

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