歴史ブームが起きた

1644年、満州にいた満州人(女真族)を統一したヌルハチが支那に侵入して明王朝を倒し、新たに清王朝を建国しました。

国を滅ぼされた支那人の官僚たちは、明王朝を再興しようとして幕府に援助を求めにきました。支那の高級官僚はみな、儒教をめちゃくちゃに勉強して科挙(官僚登用試験)にパスした者たちです。

彼らは幕府の老中たちに、儒教の理論を使って、明が正統な王朝であり清は野蛮人が建てた偽物の王朝だ、と力説しました。

結局、幕府は明の遺臣たちを応援しませんでした。しかし将軍や大名たちは、彼らの王朝に対する忠誠心に感心しました。そして、これらの忠臣が信奉する儒教に魅力を感じ、この教えは自分の地位を保つために使えるのではないか、と考えました。

明の遺臣たちは、「今までの支那は儒教の華が咲き乱れる文明の中心(中華)だったが、このままでは獣のような野蛮人が支配する国(畜類の国)になってしまう」と主張しました。事実、明は滅び支那は畜類の国になってしまったのです。

なお、20世紀に入って支那は国名を「中華民国」とか「中華人民共和国」などとして、「中華」という字を冠していますが、これも「文明の華が咲き乱れる世界の中心の地だ」という意味です。

日本の知識人たちは、「支那が畜類の国になった以上、今は日本が中華であり文明の中心ではないか」と考えました。そして、日本は昔から儒教の華が咲き乱れていた中華だ、ということを証明しようとして、歴史ブームが起きました。

山鹿素行(やまがそこう)という儒教の学者は、このブームに便乗して『中朝事実』という歴史書を書きました。

その内容は、「支那では昔から臣下が皇帝を殺して何度も王朝が交代している。また野蛮人の支配を受けたこともあるが、これは儒教の教えに反している。それに対して日本は、外国の支配を受けたことが無く、万世一系の天皇家が支配を継続している。日本は、昔から中華である」というものです。

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