平等という言葉は、もともと仏教用語です。例えば、京都の宇治には平安時代に建てられた有名な平等院という仏教寺院があります。
明治になって欧米からEqualityという言葉が入ってきて、これに平等という言葉をあててしまいました。そのために、キリスト教の平等と仏教の平等の混同が始まりました。
それでも明治時代は欧米の文明に対して緊張感を持っていた時代なので、憲法に規定されている平等の考え方は仏教の説いている平等のことではない、ということが分かっていました。
戦後の日本国憲法は、平等という考え方にいかなる宗教的・思想的背景があるかを明らかにしていません。平等という権利の素性を隠しているのです。そのために、「憲法が規定している平等は、仏教の平等のことではない」ということが分からなくなってしまいました。
さらに敗戦によって神道は批判され、その分仏教の考え方が強くなってきました。
このような事情で、戦後になって仏教の平等は法的な権利だ、という誤解が社会に広がってきました。そして、キリスト教の天職や神道の役目という神が定めた不平等の分野にまで、平等が主張されるという「悪平等」の現象が起きるようになりました。