イエス・キリストと天皇陛下の役割は同じ

イエス・キリストは、他のユダヤの預言者よりはるかに高いレベルの方ですが、本質的には預言者です。キリスト教の神の言葉を受け取り、それを人間に知らせ神の命令を実践させるのが役割です。

天皇陛下は、天照大神の言葉を受け取り、それを人間に知らせ神の命令を実践させるのが役割です。

つまり、イエス・キリストと天皇陛下は、神の言葉を受け取って他の人間に知らせるという同じ役割を担っています。

この役割を担った人間を、キリスト教は「預言者」と言いますが、古代日本では「みこと持ち」と呼びました。

天皇陛下は、み言(神の言葉)を受け取り、人に伝える役割がありますから「みこと持ち」です。天皇陛下から任命され各地に遣わされた国司も「みこと持ち」と呼ばれました。み言(天皇陛下の言葉、その元は神の言葉)を受け取り、人に伝える役割があったからです。

光圀と彰考館の学者たちは、天皇陛下と支那の皇帝は同じ役割を持っているはずだと勘違いして、『大日本史』の編纂をはじめました。しかし途中でこの誤りに気づき、編集方針を変更しました。そして最終的に天皇陛下を、神道の「みこと持ち」であると正しく認識しました。

この編集方針の変更のために『大日本史』の編纂にものすごい時間がかかりました。編集をはじめたのは明暦3年(1657年)で、完成したのは日露戦争後の明治39年(1906年)ですから、実に250年かかっています。

幕末の段階ではこの歴史書は完成していませんでしたが、彰考館の学者の考えが口伝えに広まり、尊王思想の形成に大きく影響しました。

『大日本史』を研究している学者の多くは、「彰考館の学者たちは、儒教の教義から次第に逸脱し、土俗に堕した」と批判しています。しかしこれは儒教が正しいと考える目線で、まったく異なる発想を持つ宗教を批判しているわけで、問題があります。