王様や天皇陛下がおられても平等

今まで主に自由に関してブログを書いてきましたが、これから平等について書こうと思います。

イギリス・オランダ・ベルギー・ノルウェー・スウェーデンなど西欧の多くの国に国王がおられますが、その一方憲法で国民に平等を保障しています。日本にも天皇陛下がおられますが、大日本帝国憲法も日本国憲法も国民に平等を保障しています。

一方で特権階級を認めながら、もう一方で国民に平等を保障するというのは、どういうことなのでしょうか。

自由に関して、キリスト教・神道の自由と仏教の自由の二種類があるという話をしましたが、平等に関しても、キリスト教・神道の平等と仏教の平等の二種類があります。

キリスト教や神道は、人間は社会生活をするものだと考えていて、仏教のような出家を想定していません。そして各人は社会の中で、それぞれ異なった役目があると考えます。役目がそれぞれ違うのは神様がそう決めたからであって、神様に「不平等だ」と文句を言ってもしかたがありません。

役目以外のプライベートな部分でみんなを平等に扱おうというのが、キリスト教や神道の平等の考え方です。王様や天皇陛下は、神様から特別の役割を授けられたのであり、その役割を果たすために必要な特権をも与えられたと考えます。

仏教は社会生活を重視しません。人間というのは、社会的な地位とか役割などに無関係な素っ裸のものだと考えます。そこため、あらゆることが平等でなければならないと考えます。

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