敗戦の年である昭和20年2月に元首相の近衛文麿は天皇陛下に、「敗戦は遺憾ながらもはや必至なりと存じ候」という書き出しで始まるいわゆる「近衛上奏文」を奏上しました。
以下、要点を書きます
・敗戦に伴って起こりうる社会主義革命が心配だ
・職業軍人の多くは中流以下の家庭出身者なので、社会主義を受け入れやすい境涯である
・彼らは軍隊教育で国体観念を叩き込まれているので、日本の国体と社会主義は両立すると信じている
・軍部が満州事変・支那事変を長引かせたのは、国内革新を行うためだった
・軍部の狙いは必ずしも共産革命ではないが、一部官僚や民間有志は意識的に共産革命を意図していた。無知単純な軍人は、これに踊らされた
・民間有志を右翼と言ってもいいし左翼と言ってもよいが、いわゆる右翼は国体の衣を着た社会主義者である
・自分(近衛)は国内の摩擦を避けるために革新論者の主張を容れたが、その背後にある意図を十分に読み取れなかった。何とも申し訳がない。
・民間有志を一掃せずに戦争を終結させれば、国内は大混乱し社会主義革命が起きる恐れがある
この上奏文には、私がこのブログで書いてきた内容がそのまま述べられています。
なぜ近衛がこのような上奏文を書いたのかについては、さまざまな意見があります。日本を対米戦争に持って行った責任者が近衛文麿ですから、敗戦後に「悪いのは社会主義者で、オレは騙された被害者だ」という弁解のために書いたと考える学者も多いです。
私も以前はそのように考えていました。しかしその後、昭和初期の日本の状況を調べていくうちに、近衛が書いた内容はすべて真実だ、と考えるようになりました。
日本が対米戦争を行った理由は、アメリカにもソ連のスパイがいて対日戦を企んだとか、アメリカが日本人を人種差別したとかいう、アメリカ側の事情もあります。しかし、日本は社会主義思想に染まったことにより自滅した、という要素がかなり大きいと私は考えるようになりました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと