前回、昭和研究会は昭和初期の日本の政局に重大な影響を与えた、と書きました。それはこの会が、近衛文麿の私的な政策研究機関だったからです。近衛文麿は、昭和12年から昭和16年まで、三回も日本の首相を務めました。三回目の首相を辞めたのは、日米開戦の2か月前です。
つまり、近衛文麿は日本とアメリカが戦争を始める直前の3年間、日本の首相だったのです。そしてその間、近衛首相に政策を提言し続けていたのが昭和研究所でした。実はこの研究会は、社会主義者とソ連のスパイの巣窟だったのです。
皆さんはゾルゲ事件のことを名前ぐらいは聞いたことがあると思います。リヒアルト・ゾルゲというドイツ人の新聞記者と尾崎秀実という朝日新聞の記者が実はソ連のスパイだったということが日米開戦の直前に分かり逮捕され死刑になった、という事件です。駐日ドイツ大使もゾルゲを信頼し、大使館の情報官に任命しました。彼はドイツ大使館員としてさまざまな機密情報を得られる立場になったのです。
尾崎秀実は特派員として上海に駐在中、アメリカ人の女流ジャーナリストのアグネス・スメドレーと意気投合し愛人関係になりました。実はアグネスは、ソ連のスパイだったのです。そしてアグネスが尾崎とゾルゲを引き合わせました。かくしてゾルゲと尾崎は連携して、日本でスパイ行為を行うことになりました。
尾崎は日本に戻ってから昭和研究会のメンバーになりました。その後朝日新聞を退職して政府嘱託となり、昭和研究会の仕事及びスパイ活動に注力しました。
尾崎が昭和研究会でやったことは、仕事上知りえた日本の最高機密をソ連に漏らすといういわゆる007のようなスパイ行為ではありません。昭和研究会は首相である近衛文麿の私的な諮問機関です。尾崎はソ連の利益になる一方日本を破滅に導く政策を、近衛首相に提言したのです。
尾崎がソ連のスパイであることがなかなか発覚しなかったのは、彼は近衛首相の私的スタッフという仕事をまじめにやっただけで、機密情報を盗むという怪しげなことをしなかったからです。また昭和研究会には、偽装転向者や国家社会主義者などの社会主義者が大勢いたので、彼の行動が特に目立たなかったからでもあります。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと