ソ連は、アメリカのウィルソン大統領が行った政策を巧みに利用して生き延び、さらに資本主義国で革命を起こさせようとコミンテルンの活動を活発に行っていました。
ウィルソン大統領の次のアメリカ大統領はハーディングですが、彼もウィルソンの政策を受け継いで、日本やイギリスを弱体化させ、相対的にアメリカが強くなるようにしました。
当時、日本とイギリスは日英同盟を締結して親密な関係にあり、またこの同盟は日英双方にとって有益なものでした。一方、イギリスとアメリカは決して良好な関係ではありませんでした。
そこでハーディング大統領は日英を離間させて、状況をアメリカに有利なように変えようとしました。イギリスは第一次世界大戦の折にアメリカから巨額の借金をしていたので、アメリカの主張に従うしかありませんでした。
1921年にハーディング大統領はワシントン会議を開催して、四か国条約を締結させました(日英米仏)。この条約は実質的に何の意味もなく、日英同盟を破棄させることだけが、真の目的でした。「四か国同盟ができたのだから、もはや日英同盟は不要だろう」として、日英同盟を破棄させたのです。
また九カ国条約(日英米仏蘭白葡及び中華民国)が締結されました。当時の中華民国は軍閥が互いに抗争していて国家の体をなしていなかったのですが、アメリカはこの国を一人前に扱うことで恩を売り、日本とイギリスの勢力が強かった支那に割り込もうとしたのです。
さらに五カ国条約(日英米仏伊)を締結し、戦艦と航空母艦の総トン数を制限しました。
アメリカ イギリス 日本 フランス イタリア
・ 5 5 3 1.75 1.75
これも日本の海軍力を抑え込むためでした。日本は対米7割ならアメリカと互角に戦えると考えたのですが、6割に抑え込まれました。
ワシントン会議の結果、「日本を裏切ったイギリス」「日本を敵視するアメリカ」ということになり、「英米が日本を封じ込めようとしている」という世論ができてきました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと