前回書いたように、昭和初期の日本には支那やアメリカとの戦争を回避するチャンスは何回もありました。それなのにこれらのチャンスをすべて潰して、対米戦争に進んでいきました。国際情勢に対する認識も冷静さを欠いたものでした。
人間は固定観念に捉われた時に、冷静な判断ができなくなります。当時の日本が陥っていた固定観念が、「戦争を続けなければならない」ということです。前にも書いたように、将来の総力戦に備えるために、日本は統制経済(社会主義経済体制)をとらなければならない、と考えました。そして大日本帝国憲法が保障している自由主義経済を壊して社会主義体制を作るには、戦争という非常事態が必要だったのです。
そのうちに、支那との戦争を続けることと統制経済(社会主義経済)を構築することが一体化し、遂には戦争を続けることが目的になってしまいました。これには日本の官僚組織の問題もあります。官僚組織は、与えられた方針を果たすようになっています。
「支那との戦争を続けるためには経済を統制しなければならない」という方針を果たしているうちに、戦争を続けることが目的化してしまうのです。和平が実現されれば統制経済の仕組みをもとに戻さなければなりませんが、それを容認できなくなってしまうのです。まして官僚には社会主義者が大勢いたので、抵抗がさらに激しくなるのです。
官僚体質は今も変わりません。昨年消費税が引き上げられましたが、これを強力に推進したのが財務省でした。この組織は税金を多く徴収することが目的になってしまっているからです。本来の目的である「国家活動に必要な資金を徴収する」が忘れ去られてしまいました。
「支那との戦争を続けなければならない」という固定観念が、当時の政界と官界にできあがってしまいました。斎藤隆夫が衆議院で有名な「反軍演説」をやり、「この戦争の目的は何か?」という至極まっとうな問いかけをしたところ、衆議院は「聖戦遂行を冒涜する」として彼を衆議院から追放しました。
支那との戦争は続けなければならないから、アメリカがその前に立ちふさがって蒋介石を支援するとしても、戦いをやめるわけにはいきません。アメリカの国務長官のハルが、「支那から手を引け。さもなくば、原油を売らないぞ」と喧嘩を売ってきたら買うしかないのです。ハルの警告を無視してインドネシアに侵攻し、石油を確保すると同時にアメリカとの戦争を避ける、という第三の戦略をまともに検討する雰囲気がなかったのでしょう。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと