日本の軍人や官僚が社会主義化したきっかけは、第一次世界大戦でした。ヨーロッパの列強が人的・物的資源を総動員して戦っている「総力戦」の状況を見て、彼らは政府が市場経済に介入しない自由主義経済を変えて、「何が正しいかは国家が決める」「何をどれだけ作るのかは国家が決める」という統制経済(社会主義体制)にして、戦争に必要な物資を確保しようとしたのです。
この時点では、日本を社会主義化するのは手段であって、目的は日本の防衛力を高めることでした。ところがロシアに革命が起き、社会主義こそが人類の理想だという風潮が起きてくると、日本を社会主義化することが目的になってきました。その手段として「戦争に勝つために物資を統制する」というように、戦争が利用されるようになりました。
支那事変は、日本がその気になりさえすれば和平を実現できる戦いでした。この戦いの最中に何度か和平の話がありましたが、近衛文麿内閣のほうが和平交渉を潰したのです。
昭和15年(1940年 日米開戦の前年)、斎藤隆夫という衆議院議員が、国会で有名な「反軍演説」をしました。この演説の要旨は下記です。
1、支那事変が正義に合致するか否か、などということを問いただすつもりはない。戦争に「正しい戦争」と「間違った戦争」などという区別はない
2、近衛首相は支那に「領土の割譲や賠償金の支払いを求めるつもりはない」と言っている。であれば、この戦争によってわが帝国はどのような利益を得ることができるのか、回答してほしい
この質問に対して政府は当たり障りのない官僚的答弁をしただけですが、この演説を聞いていた武藤章陸軍省軍務局長は、「政治家は相手の痛いところをつく、うまい言い方をする」という趣旨の感想を漏らしました。武藤自身も人を納得させるような合理的な答弁ができなかったのです。この演説に対して衆議院は、「帝国の聖戦を冒涜する演説だ」として斎藤議員を除籍処分にしてしまいました。どう考えても正気の沙汰ではありません。
アメリカとの開戦前夜の日本のことを、多くの人が「空気に支配されていて、みんな正気を失っていた」と論評しています。確かにそうです。日本を社会主義化するために戦争を利用するという無理を強行したために、日本人は論理的な思考ができなくなり、空気が生じました。私はこのように理解しています。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと