前回のブログで、昭和初期に青年将校たちは、急速に社会主義化したことを説明しました。社会主義の定義は、「何が正しいかは、国家とか政党のトップが決める。民はその命令に従え」という考え方です。社会主義には二種類あります。君主などの世襲の統治者・国家や民族・私有財産を認めないのがマルクス系の社会主義で、これらを容認するのが国家社会主義などの非マルクス系社会主義です。
将校たちは陸軍士官学校で、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ。されば朕は汝らを股肱と頼み、汝らは朕を頭目と仰ぎて・・・」という軍人勅諭を徹底的に叩き込まれました。したがって彼らが信奉したのは、世襲の統治者を容認する非マルクス系の社会主義でした。我々はロマノフ皇帝一家及び貴族を虐殺したロシア革命の印象が強いので、戦前の青年将校が社会主義者だったことになかなか考えが及びません。
社会主義化した青年将校たちが指導者と仰いだのが、北一輝(1883~1937年)でした。彼の代表作である『日本改造法案大綱』には下記のようなことが書かれています。
1、天皇陛下の大権を発動してクーデターを起こして三年間憲法を停止し、その間に国家改造を行う
2、一定額以上の私有財産は没収する
3、大企業は国有化する
4、労働者の権利を保護する
5、国際的に領土が特定の国に偏っている。土地が狭い日本は、イギリスやソ連と戦争をしてオーストラリアやシベリアを取る権利がある
大企業の国有化に踏み込んだりして国家が国民を統制しようとしており、社会主義そのものです。私有財産の没収を主張している点はマルクス的だが、天皇陛下の大権を認めるとか国家を単位とした国家社会主義を主張しているなどの非マルクス系の要素もあります。
北一輝を指導者と仰ぐ青年将校たちは、昭和11年(1936年)に、元老・重臣・軍閥・政党などが日本のガンだと主張して反乱を起こし(2・26事件)、大臣などを殺害しました。北一輝は軍人ではなく反乱軍に加わっていたわけではありませんでしたが、政府は彼を理論的指導者と認め、死刑にしました。なお、「軍閥」というのは彼らの主張に反対する将軍たちを指しており、支那のように私兵を養っている者たちという意味ではありません。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと