前回まで昭和初期に軍人が非マルクス系の社会主義化したことを書きましたが、これからマルクス系の社会主義者だった日本共産党員までもが、非マルクス系の社会主義者になった、という話をします。
マルクス系の社会主義は民族や国家というものを認めず、全世界は統一されるべきだと考えます。世界中の社会主義の中心であるモスクワの指示に各国の社会主義者は従えばよいのです。こういう理屈で、日本共産党はモスクワの指示通りに動いていました。
日本の特殊事情などまるで知らないモスクワの指示に従ったために、日本共産党(戦前は非合法だった)は警察から徹底的に弾圧され、組織は壊滅し党員は逮捕され収監されました。収監された共産党員は獄中で反省し、日本式の社会主義を模索し始めました。つまりモスクワの出張所にすぎない日本共産党を脱退し、日本的な価値観を受け入れた社会主義を目指したのです。
獄中の社会主義者が日本共産党との決別を宣言することを「転向」と言います。以後は普通の人になったかのような印象を受けますが、実際はマルクス系の社会主義から非マルクス系の社会主義に乗り換えた者が大部分です。
例えば、赤松克麿という共産党の幹部が獄中で転向しました。出所後彼は「日本社会主義研究所」を作りました。その主張は下記のように、国家と天皇制の必要を認めているので、非マルクス系の国家社会主義です。
国家は必要であり、天皇制は日本に適している
私有財産を廃止し、生産手段は国有化すべき
資源を持つ国は、資源がない国に門戸を開放すべきである
昭和7年には、日本共産党最高幹部の佐野学と鍋山貞親が獄中で転向しました。コミンテルンの主張は日本人に合わなかったからです。二人の最高幹部が転向したので、獄中の共産党員の多くも転向しました(約1800人中600人)。
また民政党などの既成政党から飛び出して非マルクス系の社会主義運動をする者もでてきました。さらには官僚も非マルクス系の社会主義に染まっていきました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと