大東亜戦争中、日本人はアメリカとイギリスのことを「鬼畜米英」と呼んでいました。どちらの国も英語を話すし、法体系や文化などが共通だから、互いに親密なのだろうと日本人は勝手に思っていたわけです。ところが歴史的にこの両国は極めて仲が悪いです。
そもそもアメリカはイギリスの植民地でしたが、喧嘩になって独立しました。アメリカの独立戦争を助けたのがフランスで、ニューヨークの港にある自由の女神像は、独立後にフランスが贈ったものです。こういう経緯でアメリカ人にはフランス好きが多いです。ナポレオン戦争の最中、イギリスとフランスは戦争していました。そこでアメリカは、フランスに味方してイギリスと戦争をしています(1812~1814年)。
イギリスは仲の悪いアメリカが強くなることを警戒していました。だから南北戦争(1861~1865年)のとき、劣勢だった南部と同盟を結んで北部と戦い、この戦争を長引かせようとまで考えました。
第一次世界大戦まではイギリスが世界最強の国でしたが、第一次世界大戦後にイギリスの力が衰えたため、アメリカはイギリスにとって代わって世界の覇権国になろうとして、あらゆる分野で争っていました。大東亜戦争が起きる前のイギリスとアメリカは仲が悪かったのです。ところが当時の日本は、英米を一体視していて、両国を離反させイギリスを味方につける努力をほとんどしませんでした。
大東亜戦争が起きる4年前の昭和12年に支那事変が起こり、日本と蒋介石が戦いました。日本軍のほうが圧倒的に強かったのですが、アメリカが蒋介石を支援したために、蒋介石は日本と和睦をしようとせず戦いを続けました。ソ連もアメリカと日本を戦争させるために、またイギリスは支那の利権を守るために、蒋介石を支援しました。
日本の政治家も軍人たちもほとんどが、支那事変を早く終わらせることを望んでいましたが、和平が実現せず戦争が泥沼化しました。これには日本側にも問題があったからですが、これは後で説明します。そして日本は、支那事変を終わらせるためには、英米が蒋介石を支援するのをやめさせなければならない、と考えるようになりました。
蒋介石という弱い敵との戦争を終わらせるために強敵のアメリカと戦うという、子供でもやらないような愚かな戦略をとりました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと