昭和12年(1937年)に起きた支那事変に対して、外務省や陸軍は何度も和平交渉をしようとしました。しかしそのたびにソ連のスパイである尾崎秀実は、その邪魔をしました。近衛文麿首相の私的諮問機関である昭和研究会に入り込み、徹底的に中国と戦うことを提言したのです。近衛文麿首相は、尾崎らの提言を容れて、何度かあった和平のチャンスを自分からつぶしました。
尾崎秀実には、昭和研究会内部に三木清や河合轍などの仲間がいました。三木清は哲学者で法政大学教授でした。共産党員だったので逮捕され法政大学をクビになりましたが、獄中で転向し、出所後昭和研究会に入りました。彼は戦後に『人生論ノート』というベストセラーを書いたので、名前ぐらいはご存じの方もおられると思います。河合轍も共産党員で逮捕されましたが、偽装転向して出所し、昭和研究会に入りました。
三木清や河合轍は、下記のようなことを言っていました。
当時の日本の最大の政治課題は支那事変を解決することでした。そこで二人は、支那事変を解決するには、支那人を味方につけなければならない、という形で論を開始しました。従来の資本主義ではなく、日本自身が労働者や農民の利益を確保できるようにしなければならない、というのです。また、天皇陛下を中心とした立憲主義は日本の政治体制だから、これでは支那を指導できません。日本と支那が社会主義者や自由主義者を糾合して反封建主義・反資本主義の東亜共同体という国家連合を作ろう、というのです。つまり三木清や河合轍は、支那事変の解決に事寄せて日本の社会主義化を主張し、立憲制度を否定したのです。
首相のブレインの発言なので、正規の官庁にも影響を与えました。内閣情報部は『新体制早わかり』というパンフレットを出し、下記のようなことを言っています。
・満州事変は英米仏の資本主義陣営との戦いであった
・自由主義を背景とした資本主義体制は、新しい状況に対応することができなくなっている
・打倒すべきは、財閥・既成政党・旧官僚・軍閥・宮廷官僚
満洲事変は、実際はソ連と中国の領土欲から起きているのに、これを欧米の資本主義国家と日本との戦いだと説明しています。内閣情報部は、日本は資本主義国ではなく、社会主義国になるべきだと考えているのです。正規の役所が、大日本帝国憲法が大原則とするFreedom(自由)を否定するような文書を書いています。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと