前回、「支那事変を長引かせ結果的にアメリカとの戦争につなげたのは、軍や官庁の中にいる間抜けだった」ということを書きました。最近は、このような主張をする現代史学者が少しですが出てきました。しかし多数は依然として、「軍国主義者や右翼が政府の指示に従わず支那事変を長引かせた」と唱えています。たしかにそういう側面はあります。
石原莞爾という軍人がいました。彼は関東軍の参謀(中佐)として満洲にいたときに、軍や政府の了解を得ずに独断で満州事変を起こしました。その後少将になった石原は、東京の参謀本部の作戦部長になりましたが、そのときに支那事変が起こりました。軍人たちが東京からの指示を逸脱して戦線を拡大するのに苦言を呈しましたが、「我々は閣下が満洲でなさったことと同じことをやっているだけであります」と反論されてしまいした。
石原参謀本部作戦部長の部下に武藤章作戦課長がいました。彼は上司の支那事変不拡大論に反対して上司を参謀本部から追い出しました。ところが陸軍省軍務局長になってから、早期和平論者に変わりました。軍務局長という立場上、日本が支那との戦争を続けることによってアメリカとの関係が極度に悪化し、また軍事費の増加で財政が悪化しているということを真剣に考えるようになったからです。
このように、当時の軍人が戦闘に勝って英雄になり出世することを望んでいたことは事実です。だから「軍国主義者や右翼が政府の指示に従わず支那事変を長引かせた」という多数説もある程度の妥当性があります。ところがこの説は二つのことを見逃しています。
一つは、軍人だけでなく多くの「革新官僚」も支那事変を支持していたということです。もしも軍人の立身出世欲だけが原因だとしたら、官僚が賛同するはずがありません。近衛首相自身が、「支那に対して領土や賠償を請求しない」と言っているので、この戦争によって得られる国益がないのです。
二つ目は、「軍国主義者や右翼」が社会主義者だったということを認識していない、ということです。彼らは「右翼」という曖昧な言葉を使っているために、実態が分からなくなっています。支那事変を煽りに煽った朝日新聞が社会主義の巣窟で、昭和研究会にも何人か朝日の記者がいた、という事実にも注目すべきでしょう。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと