民政党の浜口内閣が強引に金本位制に復活しようとして引き起こした恐慌に敏感に反応して社会主義化したのが青年将校たちでした。それにはいくつか理由があります。
帝国陸軍は、農村の若者たちを徴兵し彼らに訓練を施すことによって成立しています。その農村が恐慌によって危機に瀕してきたので、彼らと日々接していた青年将校たちはこのままでは帝国陸軍が成り立たなくなると憂慮しました。
陸軍士官学校の卒業生は、昭和5年が218人、昭和6年は227人、昭和7年は315人です。今の東大は毎年3000人ぐらいが卒業しますから、今の東大より昭和初期の陸軍士官学校のほうが、はるかに難関でした。そして彼らの多くは中流以下の家庭の出身でした。
つまり、青年将校は非常なエリートで、日本の運命は自分の双肩にかかっているという自負がありました。さらに中流以下の出身ということが重なり、既存の支配層に批判的でした。そういうときに失政による恐慌が起こり、彼らは反体制化したのです。
すでに何度も説明したように、「Freedomは隣人を助けるためならば既存の社会のルールを破っても構わない」という、非常に正義感の強い「硬派」の考え方です。それを明治初期に日本人は「自由」と訳しました。「自由」は仏教用語です。出家して社会から離脱した僧侶が周囲に人がいないのを幸いに、勝手気ままに振舞えるという爽快な気持ちを表しています。「自由」は「勝手気ままに振舞う」という意味で「軟派」の考え方です。
軍隊では、上官の命令には絶対的に従わなければなりません。そのために軍人は「自由主義」を毛嫌いしました。社会主義は「何が正しいかは上が決める。下はその命令に従え」という考え方で、軍隊の考え方と合います。このようなことからも、昭和初期の軍人たちは社会主義に共感しました。
第一次世界大戦の時、日本の軍人は欧州に視察に行って、国家の資源を総動員する「総力戦」のすさまじさに吃驚しました。そして日本でも総力戦に備えて、国家が資源をすべて管理する経済体制を作り上げなければならない、と考えました。これは社会主義経済体制です。
このように様々な理由から、昭和初期の軍人が急激に社会主義化しました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと