社会主義者の軍人・官僚や獄中で転向した共産党員たちやソ連のスパイなどは、日本を社会主義化しようとして、支那事変を利用しました。和平交渉を潰し日本が支那と戦争を続けている状態を作り出し、経済を統制して徐々に社会主義化をなしとげようとしたのです。
日本が支那事変の泥沼の中でもがいているのを見て、ソ連は満州にちょっかいを出しました。属国のモンゴルと満州の境のノモンハンで国境侵犯をしたのです。そこで関東軍が迎え撃ったのがノモンハン事件です。
ソ連の脅威が現実になったので、軍人たちはソ連の敵のドイツと組もうとしました。地球の反対側にあるドイツと組むことが日本にとってどれだけのメリットがあるのだろう、などという検討をまじめに行った形跡がありません。
そもそもナチスドイツは、アーリア人の優秀さを主張する人種差別国家です。一方の日本は、ヴェルサイユ講和会議以来人種差別に反対していて、有色人種のアジア諸国のリーダーになろうとしています。日本の社会主義者たちは、人種差別国家と同盟を結ぶという矛盾をおかしいとも思わなかったのです。
日本が支那と戦っていたのは、日本と連携して欧米列強に対抗しようという日本の提案に蒋介石が反対したからであって、支那を征服することが目的ではありませんでした。このことは近衛文麿も明言しています。ところが、蒋介石が日本の提案を拒否するだけでなく英米に助太刀を求めたので、日本は謙虚に自分の提案のどこがおかしいのかを考え直すべきでした。しかしそれをしないで、英米と支那を束にして戦おうとしたわけで、戦略もへったくれもありません。
イギリスはドイツと戦争を始めており、アジアどころではありません。交渉によっては戦争を避けられたのです。また、アメリカの大統領(民主党のフランクリン・ルーズベルト)は日本と戦争をやりたがっていましたが、共和党はソ連と対峙している日本に一定の評価をしていました。アメリカは対日強硬一辺倒ではなかったのです。
そもそもイギリスとアメリカは、独立戦争以来ずっと仲がわるいままでした。ところが日本はこの両国を「鬼畜英米」と一体化して捉えており、離間させようともしませんでした。冷静な現状分析をしていなかったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと