第一次大戦以前、各国は金本位制を採用していたため、紙幣の発行額は政府が所有する金の量によって制約を受けていました。ところが第一次世界大戦になって戦費を調達するために、その上限を超えて紙幣を発行せざるを得なくなり、各国は金本位制を廃止しました。
戦後になって各国とも金本位制に復帰しようとしましたが、そのためには市場に出回っている大量の通貨を政府が回収しなければなりませんでした。緊縮財政を行って資金を作り、市場から紙幣を集め、それを焼却するという作業をするわけです。市場に出回っている紙幣を減らすということは、紙幣に希少価値が生まれることですから、紙幣は物に対して価値が上がります。つまり物価が下がるデフレになるので、金本位制に復帰するということは強烈なデフレ政策なのです。
欧米各国は、第一次世界大戦後の早い時期に金本位制に復帰したのですが、案の定デフレに苦しみました。日本も復帰を考えていたところに関東大震災が起き(1923年)、金本位制への復帰は延期になりました。衆議院選挙で第一党になった民政党の浜口雄幸が首相に指名されると、彼は懸案の金本位制への復帰を断行しました(1930年)。民政党は保守の政友会に対抗していて、軍縮と国際協調を基本政策に掲げており、今でいうと民主党のような性格の政党でした。
当時、ロンドンで軍縮会議が開かれており、また欧米列強から日本が金本位制に復帰することを求められていました。そこで国際協調を重視して軍事費の削減しさらに緊縮財政を行って資金を用意し、金本位制を復活させようと考えたのです。
浜口が緊縮財政を始めたのが、アメリカ発の大恐慌が日本に押し寄せた直後だったので、日本の物価と賃金が大暴落し、失業者が増加し、東北では娘を売りに出す農家が続出しました。それでも浜口は緊縮財政をやめなかったために、テロリストにピストルで撃たれて重傷を負いました。
城山三郎の『男子の本懐』は、金本位制復帰を題材にしたドキュメンタリーですが、浜口は清廉潔白を売り物にした頑固者に描かれています。彼は自分の清廉さに酔って、国民の暮らしを直視しようとしなかったようです。
この失政による不況によって、多くの日本人は資本主義・自由主義は庶民に過酷な体制であるとして、社会主義に魅力を感じるようになりました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと