前回は、昭和初期の青年将校の多くが社会主義化したということを説明しました。これから青年将校だけでなく階級の高い年配の軍人も社会主義化した、という話をします。
1917年(大正6年)にロシア革命が起き、ロシアに社会主義国家ができました。ソ連はコミンテルンというスパイ・謀略組織を作り、資本主義国で社会主義革命を起こそうとしました。ソ連は貴族の莫大な財産を没収し、それを惜しげもなく工作に使いました。日本も主要なターゲットだったので、盛んに工作を仕掛けました。
ソ連が巨額の資金を日本に投入したことは事実で、何人かの現代史学者が言及しています。しかしその資金と日本の社会主義化の関連が明らかでないので、歴史家の追及も金の流れの解明にとどまっています。
1922年、レーニンは60万円(今の価値で約30億円)を吉田一という共産主義者に渡しました。吉田はこの金を藤田勇に渡しました。藤田勇は毎日新聞社社長だった社会主義者で、徳川義親の資金係をしていました。徳川義親侯爵は尾張徳川家の当主でした。彼は社会主義者で、戦後は社会党の顧問になりました。戦前の名門のお坊ちゃんにはこのように社会主義者になるケースがかなりあったのです。
金は藤田勇から大川周明に渡されました。大川周明はイスラム学者で、社会主義者であり、また大アジア主義者でもあるという不思議な人物で、北一輝や徳川義親侯爵と親交がありました。戦後「扇動的な文書を出版し、国家社会主義を広めた」という罪状で東京裁判に起訴されました。しかし、東条英機の頭を法廷で叩いたため、精神異常と判定され起訴を取り下げられました。
大川周明は、金を橋本欽五郎に渡しました。橋本欽五郎は陸軍軍人で、参謀本部のロシア班長を務めました。彼は「桜会」という国家改造を目指す軍人の秘密結社を作り、昭和6年に二度にわたってクーデター未遂事件を起こしました。そのため彼は軍を追放されましたが、その後は国家社会主義運動を行いました。
金はさらに橋本欽五郎から永田鉄山に渡りました。永田鉄山少将は陸軍省陸軍局長という陸軍の中枢にいた軍人で、日本を統制経済化しようとした中心人物ですから、社会主義者です。彼は昭和10年に陸軍省内の自室で相沢三郎中佐によって斬殺されました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと