マルクス主義は、民族などというものは支配者が自分の都合の良いように作り出した幻想であり、そんなものは存在しない、と考えます。ソ連も民族を基礎にした国家を認めません(少なくとも建前はそうです)。世界は一つの国家に統一されるべきであり、そのリーダーがロシア革命を行って真っ先に社会主義国家となったソ連なのです。その結果、ソ連以外の資本主義国にいる社会主義者はソ連の指示に従え、という結論になります。
マルクス系の社会主義者であった尾崎秀実も、当然ながら日本民族を基礎とした大日本帝国という国家を認めませんでした。ソ連が日本やアメリカなどの資本主義国を滅亡させ世界を一つにすることで結局は日本人を幸せにできる、と信じていたわけです。そしてソ連が世界を統一することに最大限の力を尽くしました。
彼がやったことは、普通の日本人から見れば国家への裏切り行為そのものですが、彼には日本という国家を大事にしようという愛国心がありませんから、彼にはやましい気持ちはありませんでした。今の日本でも国益を考慮しない人が多いですが、彼らは多少ともマルクス系の社会主義の発想に染まっているからです。
さて、昭和初期のソ連にとって最も望ましい状況は、日本と英米という資本主義国どうしが戦争をすることでした。日本が英米と戦争するときは、ソ連とは戦争をせずできれば友好関係を維持しようとするはずです。すなわちソ連は安全地帯で高みの見物ができるのです。また日本と英米が戦って疲弊すれば、その時こそ日本や英米に社会主義革命を起こすチャンスなのです。日本と英米を争わせるネタとして、ソ連は中国を利用しました。
アメリカは中国に対して経済的に進出しようとしていたし、イギリスは中国にある利権を維持拡大しようとしていました。これに対し日本には明治時代から大アジア主義の伝統があり、英米のアジアへの進出に対して日本が中国や朝鮮などと連携して対抗しようとしていました。
英米は国民党の蒋介石に物資を支援して日本との戦いを続けさせていました(支那事変)。だから日本を煽って中国と激しく戦わせれば、中国の背後にいる英米が表に出てきて、最終的に日本と英米は直接戦うことになるだろう、とソ連は考えたわけです。
当時、日本の軍人や政治家の多くも蒋介石も、和平を望んでいました。ところがソ連のスパイの尾崎秀実は、事変が解決せずに戦いが長引くように、近衛文麿を説得していたのです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと