第二次世界大戦になるような状況をはじめに作ったのはアメリカのウィルソン大統領だ、と考えることができます。彼は第一次世界大戦の講和会議を主導して、ヨーロッパ解体を図りました。「民族自決」の美名によって、オーストリアやトルコ内の少数民族を独立させました。海洋の自由を主張して、イギリスの権益を破壊しようとしました。
要するに、それまで英仏独墺露土という大国に統治されて、それなりに安定していたヨーロッパやその周辺を解体して弱体化させ、相対的にアメリカの立場を強くしようとしたのです。
ウィルソン大統領のヨーロッパ解体政策により、この地域が不安定になりました。また彼の唱えた「民族自決」のスローガンはヨーロッパ以外の地域にも影響を与えました。朝鮮で日本からの独立運動が激しくなり、中国でも欧米や日本を排斥する動きが激しくなりました。世界中が不安定になり、戦乱と民族紛争が多発したのです。
ソ連のレーニンは、この世界的混乱に乗じて世界中で革命を起こそうとしました。共産主義インターナショナル(コミンテルン)を設立し、資本主義国同士を互いに戦わせ、その戦後の混乱に乗じて革命を起こそうとしたのです。要するに、ウィルソン大統領の「民族自決」によって引き起こされた世界的混乱がソ連のレーニンを助けたわけです。ウィルソンこそコミンテルンの育ての親です。
ソ連が資本主義世界にとって危険な存在になってきたので、英仏はソ連を潰そうとし、日本・カナダ・イタリヤ・アメリカ・中華民国など五か国を誘ってシベリア出兵をしました。当時チェコ軍がシベリアで赤軍(ソ連共産党の軍隊)と戦っていたので、それを救出するのを名目にして、出兵したのです。
アメリカ軍もシベリアに出兵したのですが、ウィルソンは日本がシベリアに勢力を伸ばすことを恐れ、日本軍の行動に邪魔ばかりしました。英仏はアメリカの態度を見て、ソ連をつぶすことをあきらめてしまいました。この点でも、ウィルソン大統領はソ連を助けたのです。
この結果ソ連は生き延びることができ、コミンテルンやアメリカなどの資本主義国を互いに戦わせる謀略を続けることができました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと