第一次世界大戦後、日本の支配層の中にアメリカ嫌いが増えてきました。ウィルソン大統領は、日本がヴェルサイユ講和条約で提案した人種差別撤廃を拒否したからです。また彼は民族自決を主張したため、朝鮮の独立運動や支那の反日運動が激しくなりました。ウィルソンに続く、ハーディング大統領もワシントン会議で、日本の力を削ごうとしました。さらに、この頃からアメリカで日本からの移民を排除する動きが激しくなってきました。
日本の支配層は、明治維新以来ずっと親米でした。日露戦争の時、ロシアとの講和条約締結の仲介役をセオドア・ルーズベルトに頼んだほどです。第一次世界大戦の後でも親米派はいました。例えば、総理大臣の原敬や外務大臣の幣原喜重郎です。
その一方でアメリカ嫌いが出てきたわけで、日本の支配層が「アメリカ好き」と「アメリカ嫌い」に分かれ始めました。この「アメリカ好き」と「アメリカ嫌い」の対立が次第に深刻になっていったのです。
「アメリカ嫌い」の日本の支配層は、ソ連に共感しました。ソ連は、日本にとって具体的脅威の度合いが少なかったからです。また反植民地主義や人種差別反対も、日本人がソ連に共感する一因でした。
社会主義は、貧困を社会からなくすと宣伝していました。貧困層の悲惨さに心を動かされたお坊ちゃんお嬢ちゃんたちは、ソ連の宣伝を真に受け、自分が金持ちの家に生まれたことを後ろめたく感じ、社会主義に飛びついてソ連びいきになったという側面もありました。
この頃の政府は、社会主義の研究を禁止したのですが、これは誤りでした。社会主義を研究させ、その問題点をはっきりさせて、資本主義との優劣を論争によって解決するべきあったのです。社会主義の本を禁書にしたり伏字だらけにしたりすれば、若者はますます社会主義が優れたもののように感じます。
Freedomは、もともと「神と同じ心になって正義を行え」という考え方です。ところがこれを仏教用語である「自由」と訳してしまいました。「勝手気ままに振舞ってもよい」というだけの考え方で、社会的正義など含まれていない思想だと当時の日本人は勘違いしたのです。そのために、正義を表看板に掲げる社会主義に理論的に対抗しようという気になれませんでした。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと