前回は、逮捕された日本共産党員が獄中で転向した、という話をしました。今回は、この転向した者たちがその後どうしたのか、ということを話します。
大正14年に、国体の変革しようとしたり、私有財産を否定する結社(主として日本共産党を想定していた)を取り締まるために、治安維持法が制定されました。昭和8年にこの法律が改正され、共産主義者・社会主義者が天皇制打倒を放棄さえすれば、その者を釈放するようになりました。
つまり、君主制を否定するマルクス系の社会主義ではない非マルクス系の社会主義(主として国家社会主義)であればOKになったのです。そのために、国家社会主義者が、軍や官界・政界などに入り込むようになりました。さらにマルクス系の社会主義者が転向したふりをしている偽装転向者も出てきました。
彼らは経済学を学んでいたので、公営・私設のシンクタンクで経済研究員として働いたり、満鉄(南満州鉄道株式会社)の調査部に就職したりしました。満鉄はただの鉄道会社ではありません。日本の満洲政策を具体的に立案するシンクタンクという性格が強かったのです。
例えば、戦後に政治家になり1960当時には首相になって日米安保条約を改訂した岸信介は、もともとは商工省の官僚でした。彼は満鉄に出向し、そこで大いに社会主義的な政策を行いました。彼は国家社会主義者なのです。当時、岸信介のような国家社会主義を主張する官僚を「革新官僚」と言っていました。昭和初期にこのような「革新官僚」と軍人が一緒になって国家社会主義的な政策を行うになりました。
当時、偽装転向者や国家社会主義者が集まっていたシンクタンクがいくつかありました。「国策研究会」は、矢次一夫というフィクサーが主宰しており、陸軍省軍務局に勤務していた池田純久少佐もメンバーでした。池田は、例のソ連から流れてきた金を受け取った永田鉄山少将の部下で、バリバリの国家社会主義者でした。
もう一つ「昭和研究会」というのがありました。実は、これが昭和初期の日本の政局に重大な影響を与えました。次回から、この昭和研究会の説明を行います。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと