軍人が社会主義化した昭和初期に、議会の力が弱くなり、国民が軍人のほうを支持するようになりました。
明治時代までは薩長出身者による藩閥政治が行われていましたが、大正デモクラシーの結果、大正末期に普通選挙が行われ、政友会と民政党という二大政党のうち、衆議院で多数を占めた方が政権を担当するという慣習ができました(政党政治)。
大日本帝国憲法は、天皇陛下が各大臣を任命するように規定しており、各大臣を統括する総理大臣の存在を予定していませんでした。大正時代になって、元老である西園寺公望が、衆議院で多数を得た政党の党首を天皇陛下が総理大臣に推薦するという慣習ができたのです。
こうなると野党としては国会内で政策論争をしても内閣を倒すことができず、内閣のスキャンダルを追及して内閣を辞職させて総選挙に持ち込んで選挙で勝つしか、政権を奪う方法がありません。当時は普通選挙が実施されたばかりで、金で票を買うことが盛んにおこなわれていたため、スキャンダルのネタはいくらでもありました。
政友会も民政党も、「モリカケ」や「桜を見る会」などよりもっとグロテスクなスキャンダルの暴露合戦をやり、国民をうんざりさせました。また、民政党が無理やりに金本位制復帰を企てて日本経済を恐慌にしてしまいました。このような失政とスキャンダル合戦で国民は政党を見放したのです。ちょうどその時に満州事変が起きて(1931年、昭和6年)、陸軍が全戦全勝しました。そのために国民は、軍に期待するようになったのです。
政党の没落を決定的にしたのが、2・26事件(1936年、昭和11年)でした。反乱を起こした青年将校たちは、天皇陛下が彼らの気持ちを理解してくれるだろうと思ったのですが、天皇は激怒して鎮圧を命じました。そのため軍の内部の支持者も同調した行動をとれず、そういう意味では軍がやったことは失敗しました。
しかし政党政治家たちは、軍にいつ殺されるか分からず、軍に反対することができなくなりました。彼らは軍の規律が乱れていることを責めましたが、「反乱はそもそも政党がだらしなかったことが原因ではないか」と反論されてしまいました。このようにして軍人が政治を主導するようになりました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと