昭和初期の政界・官界には多くの社会主義者(非マルクス系の国家社会主義者)がいて、日本を統制経済化(社会主義化)するためには支那との戦争を続けなければならないという固定観念に捉われていました。そして英米が支那を支援するのであれば、英米との戦争も辞さないと考えるようになりました。
企画院という統制経済を行っていた官庁(戦後は経済企画庁になり、今は総理府に統合されている)も社会主義者の巣窟でしたが、日米開戦の一か月前の昭和16年11月に「国防国家の綱領」という文書を出しました。
この文書は、「きたるべき世界維新戦は、新旧世界観の戦争である」と言っています。
「自由主義・個人主義・営利主義・唯物主義の世界が没落して、全体主義・公益優先主義のより高い文化が取って代わる」
「自由主義、個人主義の指導原理は人類生活の全領域で行き詰った。営利活動の自由は独占資本の自由を約束しているだけで、勤労者を苦しめている。デモクラシーの政治は金権政治の手段に堕落している」
この時点までは、支那との戦争の継続を表面上の理由に掲げて統制経済化を進めてきたのですが、この段階になって「世界を全体主義化・社会主義化する」という目的を表面に出しています。そして主敵が自由主義の英米になっています。
政府の正規の官庁が、第日本帝国憲法が保障しているLiberalism(自由主義)・個人主義を否定しているのです。この文書に官僚たちの本音が現れています。彼らの本当の目的は支那に勝つことではなく、日本を社会主義国家にすることだったのです。
またこの文書は、2・26事件にも触れています。昭和11年(1936年)に陸軍の青年将校たちが1500人の部隊を動員し、議会の廃止と社会主義化を目指して反乱を起こし、閣僚や重臣を殺害しました。この文書は青年将校たちを評価しています。
社会主義は、「何が正しいかは国家が決める」と考え、議会を敵視ないし軽視します。このような点からも、当時の官僚は社会主義者だった、ということが明らかです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月4日 右翼・左翼という言葉を使うと、現実が分からなくなる
4月16日 アメリカが石油を禁輸したから戦争になった、というのは説明になっていない
4月21日 ソ連の工作機関が、アメリカを戦争に誘導していった
5月5日 金本位制復帰も、日本が社会主義化する大きな要因だった
5月9日 反乱を起こした青年将校は、社会主義者を指導者に仰いでいた
5月21日 日本共産党員も獄中転向し、非マルクス系の社会主義者になった
5月23日 天皇制を認めれば、社会主義を信奉してもOKになった
5月30日 ソ連のスパイの尾崎秀実は、支那事変拡大を煽り立てた
6月13日 憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
6月18日 軍国主義者や右翼が悪い、というのは説明になっていない
6月23日 昭和初期の日本の経済には、社会主義化するような必然性はなかった
6月27日 日本が社会主義化した大きな原因は、Freedomが輸入品だったこと