日本国憲法は、自由と平等の素性を隠している

日本国憲法の第11条(基本的人権の享有)には、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」と書かれています。

基本的人権とは、自由と平等の権利をまとめて呼ぶときの総称です。自由と平等を、誰がどのような経緯で日本国民に与えたのか、この憲法は明らかにしていません。

私が大学で憲法の授業を受けていた時のことですが、教授が学生たちに、「実は、自由と平等の権利はキリスト教から来ている。アメリカ占領軍が日本の憲法草案を作ったのだから、日本国憲法の自由と平等もキリスト教から来ている」とさも秘密めかして教えてくれました。

ところがその教授が書いた教科書には、この事実は書かれていませんでした。他の先生が書いた教科書にも、書かれていませんでした。

戦前の大学では、自由と平等の考え方がキリスト教から来たことを教えていたのに、戦後は教えていません。おそらくアメリカ占領軍が日本国憲法を作ったということを、国民に悟られたくないからだろう、と私は推測しています。

まともな憲法はどれも、自由と平等の素性をはっきりさせています。アメリカの独立宣言(アメリカ憲法の前文に相当する)では、キリスト教の神がアメリカ人に与えた、と明記しています。大日本帝国憲法では、日本の伝統から来たものだ、と書かれています。

素性がはっきりしているので、人はキリスト教の教えなり日本の伝統である神道なりから、自由と平等の内容がいかなるものか、理解できます。

ところが日本国憲法は自由と平等の素性を明らかにしていないために、個々の条文の意味を何に基づいて解釈したらよいか、分からないのです。

日本国憲法については、また後でもう少し詳しく書こうと思っています。