孟子

孟子は、孔子の次に偉い儒教の大先生で、彼の言行をまとめた『孟子』は、儒教のもっとも権威ある正典である「四書」の一つになっています。

『孟子』の「盡心章上」第35に、孟子と弟子との間の質疑が書かれています。 弟子が、「皇帝の父親が人を殺して逮捕され、息子である皇帝の前に引き出されたら、皇帝はどうすべきか」と質問しました。

孟子は、「皇帝の位を捨て、父親を背負って逃げ、追手に見つからない安全なところで父親を養えば良い」と答えました。
皇帝は犯罪者を処罰しなければなりません。しかし孟子は、皇帝としての務めより「孝」を優先せよ、と教えています。

支那の歴史書を読むと、いたるところで忠よりも孝を優先している場面があります。 例えば、反乱軍と戦っている真っ最中の司令官に、母親が亡くなったという知らせが届いたという場合です。司令官はすぐさま辞職し、前線の軍隊を放り出して故郷に帰り、母の喪に服するという例が多いです。

上司も皇帝も、この司令官が辞職することを止めようとせず、許可して香典などを渡しました。もしも皇帝が司令官の辞職を認めなかったらどうなるか、考えてみてください。皇帝は、「孝」という最高の道徳を否定した破廉恥な人物だ、と評価されます。そうなれば、彼の権力基盤が危うくなります。

これが日本ならば、「ご母堂を亡くされて本当に悲しいだろうと思う。しかし今は非常時だから、悲しみをこらえてみんなのために頑張ってくれ」と言われるはずです。

喪に服するという形式のために前線の兵士を放り出すようなたるんだ男は、そもそも日本では司令官などの要職には任命されません。「孝」よりも「誠」を優先するのです。

日本では、役者も大事な芝居をしているときは、「役者は親の死に目に会えないもの」と言って、仕事を続けます。

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