中華思想が日本のアジア政策の障害だった

明治維新後の日本は、自国の安全保障を最優先にしていました。なにしろ、欧米から不平等条約締結を強制され、弱みを見せれば植民地化される危険と隣り合わせだったからです。

このために日本は、国内の体制を強化して富国強兵を図りましたが、もう一つの方策として近隣諸国と同盟を結んで、集団安全保障体制を構築しようとしました。その対象として考えたのが支那と朝鮮です。

日本は、「他のアジア諸国と文化を共有している」という勘違いから、支那も朝鮮も日本の提案に簡単に賛同するものと思っていました。ところが、実際にはこれら両国は日本の提案に反発しました。

支那や朝鮮から見たら、日本は儒教を知らない野蛮国で、対等の同盟関係を締結するような国ではありません。何しろ江戸時代までの日本は、何の実権も持たない天皇陛下が形式的ではあれ日本の支配者でしたが、こんなことは儒教では考えられません。

また、日本人は平気で赤の他人を養子にしますが、これも「孝」という儒教で最も重視する道徳に反する行為です。赤の他人を養子にすれば血縁関係で固まった宗族の結束が弱くなると考えるからです。

朝鮮自体は日本にとって何の脅威でもありませんが、朝鮮半島を植民地にした列強がその南端に海軍基地を設けたら、数時間で日本に侵攻できるので大変な脅威です。そこで日本はまず、朝鮮と同盟関係を持とうとしました。ところが朝鮮は日本の使者を散々に罵倒し、日本は征韓論で沸き立ってしまいました。

中華思想では、支那が東アジアの中心であり、朝鮮などの周辺国は支那の皇帝に保護を求めるべきなのです。朝鮮が日本と同盟関係を持つということは、朝鮮が中華思想の体制からはみ出すということで、支那としては認めるわけにいきません。

日清戦争は、朝鮮を支那の冊封体制から離脱させ独立国とすること、さらに独立した朝鮮と日本が同盟を結ぶことを目的としていました。

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