イエス・キリストは、欲望の抑え方を教えに来た

キリスト教やそのもとになったユダヤ教には、「モーセの十戒」という律法があります。「人を殺してはならない」「ウソをついてはならない」「盗んではならない」「不倫をしてはいけない」など10の掟を神が人間に与えたもので、人間がこれを守れば死後天国に行けます。

内容を見て分かるように、律法は社会生活を送っている人間が守るべきルールであり、特別の修業など要求していません。

人間は、この律法をなかなか守ることができませんでした。「ユダヤ人は何回も律法を破ったので神は怒り、罰として異民族にユダヤ王国を征服させ、ユダヤ人は悲惨な目に遭った」と旧約聖書に書いてあります。

聖書は、人間が律法を守ることができないのは、人間には「原罪」があるからだ、と説明しています。原罪の説明として、聖書には「アダムとイヴがヘビにそそのかされて知恵の実を食べたために、人間は原罪を負った」と書いています。これでは何のことかまるで分かりません。

原罪のことをギリシャ語で「ハマルティア」と言います(聖書の原本はギリシャ語で書かれています)。「矢を的に当てようをしたが、よそ見をしたために的を外してしまった」というのがもともとの意味です。つまり原罪とは、「神が定めた律法を守ろうとしたが、他の事に心を惑わされたので、律法を守れなかった」という意味です。

人間は欲望を抑えきれないので、律法のことを忘れてしまったために、それを守ることができなかったのです。要するに原罪とは欲望を抑えられない心の状態のことです。素直にこのように説明をすれば良いものを、原罪とか知恵の実などというから、まるで意味が分からなくなるのです。私も長い間、原罪の意味が分かりませんでした。

人間が自分の欲望を抑えることができないのを、天国にいるイエス・キリストが憐れんで、欲望の克服の仕方を教えに地上にやってきた、というのがキリスト教の主張です。

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