条件を満たせば、法律を破っても良い

16世紀初めに起きた宗教改革によって、「イエス・キリストを信じれば、聖霊の働きで心が正しくなる」という考え方を西欧社会は再認識しました。そしてカトリックとプロテスタントの間で宗教戦争が起き、西欧社会は非常に宗教的になりました。

このような宗教的な雰囲気の中で、「イエス・キリストを信じれば、心が正しくなる」という教義と、「隣人を愛し、お互いに助け合いなさい」という教義が結合して、Freedomという考え方が生まれました。そしてFreedomという考え方が、西欧社会を近代化させました。

キリスト教は、神が定めた律法を守れば天国に行ける、と考えます。ところが現実社会では、律法を守ることと隣人愛が両立しない場合があります。例えば、あなたの友人が悪人に追いかけられてあなたの家に助けを求めて逃げ込んできたとします。

あなたは隣人愛を発揮して、その友人を家の中に隠すでしょう。その後にあなたの家にやってきた悪人に対して、あなたは何といいますか。「そのような者は我が家にいない」と言えばあなたはウソをつくことになりますが、ウソは律法によって禁じられています。

このような矛盾した状況に陥った時に、キリスト教は「イエス・キリストを信じれば、心が正しくなる」という考え方を使って問題を解決しようとしたのです。

人間がイエス・キリストを信じると、その人間の心は神やイエス・キリストと同じ正しいものになります。そうなれは、人間はいかなる状況でも正しい判断を下すことができます。

イエス・キリストと同じ心で、隣人を助けることと律法を守ることを天秤にかけて判断したのであれば、律法を破ってウソをついても良いのです。これが「律法からの自由」です。

Freedomとは、「イエス・キリストと同じ心で判断した」「仲間を助けるためにやった」という二つの条件をクリアーしていれば、律法や法律などの社会的ルールを破っても構わない、という考え方です。

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