昨日、「支那の高官は自宅で仕事をする。必要なら部下を自宅に呼びつけ、また上司の家に行って報告し指示を受ける。こういう仕事のやり方だから、支那共産党の幹部は中南海という一か所に固まって住んでいなければならない」と書きました。
中南海は縦1キロ、横500メートルほどの長方形で、15万坪ぐらいの面積です。そこに毛沢東や周恩来、林彪、劉少奇、鄧小平などの最高幹部やその他の幹部の家があり、警備員宿舎や診療所・プールなどの設備もあります。
『毛沢東の私生活』を読んでいくうちに、支那共産党の幹部が中南海にまとまって住んでいる理由が次第に分かってきました。支那人は組織で仕事をせず、人間関係で仕事をするのです。日本人のように辞令をもらってその仕事に就いたら、その権限の中でまじめに仕事をする、ということが期待できません。だから机を並べて事務所で仕事をする、という発想にならないわけです。
さて、李志綏が共産党中央弁公庁警衛局主任(警視庁長官)である汪東興の自宅兼事務所に出頭したら、次のように言われました。
「なぜ先生をあの診療所にきょうまで足止めしていたかご存知か。何年にもわたって私は先生を観察してきた。医療技術といい、打ち解けた態度といい、仕事への献身ぶりといい、最高首脳を含めた当地の幹部同志たちに深い感銘を与えている。毛主席でさえも、先生についてよい噂を耳にしておられる。」
「私は公安大臣や総務大臣と話し合い、さらには周恩来首相に先生を毛主席の主治医にしたらどうかと提案した。みんな賛成した。だから昨日、毛主席に申し上げたところ、とりあえずはご同意頂いたが、最終決定を下す前にまず先生と話しをしたい、と主席は仰る。」
日本では天皇陛下の主治医を任命するのに、天皇陛下が面接して最終判断を下すでしょうか。もちろん身辺調査はするでしょうが、あくまで事務方が実質的に決めるはずです。ところが支那人は、基本的に人を信用せず、絶対に安心な者しか身辺に近づけません。
以下はひと続きのシリーズです。
3月3日 李志綏は、嫌々ながら毛沢東の主治医を22年間つとめた
3月5日 毛沢東は、自分の主治医を選ぶのに、他人任せにしなかった
3月14日 毛沢東は、支那がまっとうな共産主義国家であることを証明するために、大躍進運動を始めた
3月16日 大躍進運動の失敗により、毛沢東の権力基盤が揺らいだ
3月17日 毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした
3月18日 文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった
3月19日 毛沢東は、共産党の官僚たちをやっつけるために軍隊も使った
3月20日 毛沢東は劉少奇と鄧小平を失脚させ、林彪を後継者にした
3月21日 毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした
3月22日 毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった
3月24日 秦は諸侯を滅ぼして全土を直轄支配したが、すぐに滅びた
3月29日 朝貢は手土産を贈るという意味で、臣従を意味しない
3月30日 支那の皇帝は、周辺国からなめられたら、武力侵攻する
4月1日 支那の尖閣列島侵略に備えて、憲法問題を処理しておかなければならない