江青(毛沢東の妻で共産党の大幹部でもあった)は、毛沢東の主治医である李志綏を絶えず攻撃していました。李志綏が毛沢東に施す治療に文句をつけ、「毛主席を毒殺しようとしている」などと非難して、治療の邪魔をするのでした。
江青は医学のことなど何も分からないので、主治医に向かって「主人がいつもお世話になっております。なにぶんにもよろしくお願いします。」と頭の一つも下げるのが普通です。ところが江青が李志綏に向かってキャンキャン吠える場面がたくさん出てくるので、私は不思議でした。
李志綏は、「毛沢東が彼女をこのような女にした」と分析しています。周囲にキャンキャン吠えるような女は可愛らしくないので、やがては夫に捨てられてしまいます。実際、江青は「毛沢東に捨てられる」という恐怖に絶えずおびえていました。欲求不満が溜まり、余計に周囲に攻撃的になったのです。
「夫に捨てられる」という恐怖感にさいなまれているのが江青の弱点で、毛沢東はこれを利用しました。毛沢東には大勢の愛人がいましたが、毛沢東は江青に妻の地位を保証することによって、愛人の存在を江青に容認させたわけです。
離婚すれば、やはり毛沢東の威信を傷つけるので、江青を妻にしておくことで毛沢東は外聞を保つことができました。また江青を気に入らない部下たちを失脚させる道具にも使おうとしました。このような理由から、毛沢東は、江青が毛沢東の側近たちにキャンキャン言うのを放置しました。
李志綏は、「江青は毛沢東と結婚する前は、素直な女だったに違いない。毛沢東は周囲の人間すべてを堕落させてしまう」と書いています。
毛沢東には、お気に入りの女が何人かいました。彼女たちは24時間毛沢東のそばを離れないので、絶大な権力を手に入れました。毛沢東は、死ぬ前は言語が不明瞭になったために、張玉鳳しか彼が何を言っているか分かりませんでした。絶大な権力を握った張玉鳳も江青のように、医療チームが施す治療法を疑い、邪魔ばかりしました。確かに毛沢東は、周囲の人間を堕落させるようです。
以下はひと続きのシリーズです。
3月3日 李志綏は、嫌々ながら毛沢東の主治医を22年間つとめた
3月5日 毛沢東は、自分の主治医を選ぶのに、他人任せにしなかった
3月14日 毛沢東は、支那がまっとうな共産主義国家であることを証明するために、大躍進運動を始めた
3月16日 大躍進運動の失敗により、毛沢東の権力基盤が揺らいだ
3月17日 毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした
3月18日 文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった
3月19日 毛沢東は、共産党の官僚たちをやっつけるために軍隊も使った
3月20日 毛沢東は劉少奇と鄧小平を失脚させ、林彪を後継者にした
3月21日 毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした
3月22日 毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった
3月24日 秦は諸侯を滅ぼして全土を直轄支配したが、すぐに滅びた
3月29日 朝貢は手土産を贈るという意味で、臣従を意味しない
3月30日 支那の皇帝は、周辺国からなめられたら、武力侵攻する
4月1日 支那の尖閣列島侵略に備えて、憲法問題を処理しておかなければならない