支那人は、お互いに助け合う仲間は同じ宗族に属する者だけだ、と考えています。このような価値観が支那人の伝統にずっしりと座っているので、儒教も当然ながらそのような価値観を土台にしています。儒教の道徳も、宗族を最優先にしています。
儒教では、宗族関係を大事にしたあとで余裕があったら君臣関係を大事にすることに一応はなっています。しかし大勢いる宗族を満足させるのは大変です。支那人の官僚が出世したら、宗族が彼に群がってきます。結局、官僚は自分と宗族の利益を図るのに手がいっぱいで、他人の面倒を見る余裕などありません。
支那人にとって他人は、騙して利用するためにあるのです。『毛沢東の私生活』を読めば、毛沢東とその側近の者たちは互いに相手を利用しようとしているだけだということが分かります。
毛沢東の愛人の一人が膣トリコモナスという性病にかかりました。毛沢東も罹病しているので別の愛人に性病を移してしまいます。そこで主治医の李志綏は毛沢東を治療しようとしましたが、彼は拒否しました。自分に症状が出ておらず痛痒を感じないので、愛人たちのために苦労する気がないのです。
人間の脳は、互いに助け合うような仕組みになっています。生まれたばかりのときは誰に対しても手助けしようとするのですが、大きくなってその民族文化を身につける段階になると、その文化が規定する仲間の範囲から外れた他人に同情しなくなります。支那人は、宗族以外の他人が残酷な目に遭っているのを見ても平然としていますが、このような理由からです。
支那人の中には円満でやさしそうな顔をしている者もいます。おそらく彼らは、宗族にはやさしいのだと思います。だから他人にもやさしいと、多くの日本人は勘違いしてしまうのです。
王朝末期に内乱が起きて生活が苦しくなっても、支那人は他人どうしで助け合おうとしません。食料が足りなくなると日本人のように互いに分け合って何とか凌ぐのではなく、他人の食料を奪って自分の宗族だけが生き残ろうとします。他人を殺して、それを食料にすることまでします。実際に支那の歴史書では、そういう場面がたくさん書かれています。
このような理由で、支那では政治的な動乱が起きるたびに、ものすごい数の人間が死ぬのです。支那人にとって日本人はしょせんは他人です。そのことを忘れてはならないと思います。
以下はひと続きのシリーズです。
3月3日 李志綏は、嫌々ながら毛沢東の主治医を22年間つとめた
3月5日 毛沢東は、自分の主治医を選ぶのに、他人任せにしなかった
3月14日 毛沢東は、支那がまっとうな共産主義国家であることを証明するために、大躍進運動を始めた
3月16日 大躍進運動の失敗により、毛沢東の権力基盤が揺らいだ
3月17日 毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした
3月18日 文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった
3月19日 毛沢東は、共産党の官僚たちをやっつけるために軍隊も使った
3月20日 毛沢東は劉少奇と鄧小平を失脚させ、林彪を後継者にした
3月21日 毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした
3月22日 毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった
3月24日 秦は諸侯を滅ぼして全土を直轄支配したが、すぐに滅びた
3月29日 朝貢は手土産を贈るという意味で、臣従を意味しない
3月30日 支那の皇帝は、周辺国からなめられたら、武力侵攻する
4月1日 支那の尖閣列島侵略に備えて、憲法問題を処理しておかなければならない