皇帝制度は、支那人にとって良い制度ではない

皇帝が独裁権を持って全土を直接治める郡県制も、地方に一族や功臣を王として封じてリスク分散を図る郡国制もどちらも一長一短で決め手に欠けていました。そこで結局、王朝の創設者の好みで王朝の体制が決まることになります。

そうなると、独裁権を握って何でも好きなことができる郡県制の方が、皇帝にとってはずっと魅力的です。結局、2000年間にわたって支那の王朝の多くは郡県制を採用するようになりました。郡国制を採用した王朝は、各地の王の反乱ですぐに滅びています。

明の創設者である朱元璋は、郡国制に傾いて、自分の息子たちを各地の王に封じました。ところが朱元璋が死んで孫が皇帝になると、北京に封じられた四男が反乱を起こして甥を殺し、即位しました。これが永楽帝です。永楽帝は自分自身が郡国制の弱点を突いて皇帝になったので、郡国制の危うさを痛切に感じ体制を郡県制に切り替えました。

支那の王朝が郡県制を採用したため、専制君主である皇帝の判断が支那全体に直接影響するようになりました。皇帝の側近や宦官の多くは、金と権力を目的にしているだけで、立派な人物の方が少ないです。従って、王朝の創始者が死ぬと、その後はあまり良い政治は行われなくなりました。

王朝の末期になると、宦官などの側近が皇帝にろくな教育をせず、贅沢な暮らしをさせて政治に関心を失わせ、自分たちで勝手な政治を行うようになります。明王朝の皇帝には字が読めず、昼間から後宮に入り浸っていた者もいたようです。

かくして政治が乱れ、賄賂が横行し、その賄賂をねん出するために地方官が庶民に重税を課すようになります。重税に耐えられない農民たちは、耕作を放棄して流民となり、各地の治安を悪化させ、経済を悪化させます。

そしてついに反乱が起こり、群雄が互いに争い、このトーナメントに勝ち残った者が次の王朝を作ります。その過程で農民たちは大変な苦しみを味わい、半分以上の者が死ぬことになります。新しい王朝ができて社会の混乱が収まって初めて、農民たちは一息つくことができます。

結局、皇帝制度というのは支那人にとって、決して良い制度ではありません。そもそも言葉も違う異民族が混じりあっている支那を、一つの帝国に統一することに無理があるのです。

以下はひと続きのシリーズです。

3月1日 『毛沢東の私生活』を読みました

3月2日 『毛沢東の私生活』の著者は、特異な育ち方をした

3月3日 李志綏は、嫌々ながら毛沢東の主治医を22年間つとめた

3月4日 李志綏はやはり、その出自から思想的に疑われていた

3月5日 毛沢東は、自分の主治医を選ぶのに、他人任せにしなかった

3月6日 毛沢東は人たらしである

3月7日 毛沢東は、相手の弱点を握って服従させた

3月8日 毛沢東が江青を堕落させた

3月9日 晩年の毛沢東は、パラノイアだった

3月10日 毛沢東は、他人の苦しみを見ても平然としていた

3月11日 支那人は人間関係がすべて

3月12日 毛沢東の死は、政治的な大事件だった

3月13日 毛沢東の女たち

3月14日 毛沢東は、支那がまっとうな共産主義国家であることを証明するために、大躍進運動を始めた

3月15日 大躍進運動が失敗し、5000万人が餓死した

3月16日 大躍進運動の失敗により、毛沢東の権力基盤が揺らいだ

3月17日 毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした

3月18日 文化大革命により、多くの人が死に、若者は教育を受けなかった

3月19日 毛沢東は、共産党の官僚たちをやっつけるために軍隊も使った

3月20日 毛沢東は劉少奇と鄧小平を失脚させ、林彪を後継者にした

3月21日 毛沢東と後継者の林彪は、互いに相手を疑って殺そうとした

3月22日 毛沢東にとっては、国民の半分が死ぬのは当たり前のことだった

3月23日 支那人は今でも皇帝が大好きである

3月24日 秦は諸侯を滅ぼして全土を直轄支配したが、すぐに滅びた

3月25日 皇帝制度は、支那人にとって良い制度ではない

3月26日 皇帝制度があるから、大勢の支那人が死ぬ

3月27日 習近平は、党・国家・軍をすべて押さえた

3月28日 支那人は、習近平皇帝を望んでいるかもしれない

3月29日 朝貢は手土産を贈るという意味で、臣従を意味しない

3月30日 支那の皇帝は、周辺国からなめられたら、武力侵攻する

3月31日 支那は好戦的である

4月1日 支那の尖閣列島侵略に備えて、憲法問題を処理しておかなければならない

4月2日 習近平は毛並みが良い

4月3日 習近平は、農民の心をつかんだ

4月4日 支那人には、他人どうしが助け合う考え方がない

4月5日 儒教は、他人どうし助け合いなさい、などとは言っていない

4月6日 支那人は他人が苦しんでいるのを見ても、さして心を痛めない

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