日本は清と朝鮮に対し、朝鮮が独立国であることを認めさせた

朝鮮の砲台が日本の軍艦を攻撃した江華島事件の始末をつけようとして、日本は清に対して「宗主国を名乗るのであれば責任を取れ」と主張しました。これに対して清は、「朝鮮は清の属国ではあるが、独自の内政・外交を行っているので、朝鮮に対しては責任を取れない」と反論しました。

日本は欧米が作った国際的約束事に則して議論をしているのに対し、清は従来からの「華夷秩序」にもとづく国際的約束事に基づいているので、話が平行線をたどりました。日本の主張は欧米列強と同じなので、それを認めなければ、清は欧米列強とも揉めることになります。結局、日本の主張が通りました。

日朝修好条規は、朝鮮が独立した主権国家であると規定しています。日本はこの条項によって朝鮮が清の属国ではないと主張したのですが、朝鮮はその意味が良く分からなかったようで、反対していません。

朝鮮は複数の港を開港する義務を負い、日本に領事裁判権を認めたり、日本に最恵国待遇を認めたりしているので、日本に有利な不平等条約になっています。私は学校で、「当時の日本は、欧米列強に対しては不平等条約を押し付けられたのに、弱い朝鮮に対しては帝国主義的に振る舞っている」と教えられました。

史実はもっと合理的に解釈しなければなりません。日本は朝鮮との条約を締結する前に、清と「日清修好条規」を締結しています。この条約では日本と清は対等ということになっているので、日本は朝鮮に清と同じような優越した待遇を要求しなければならなかったのです。

日朝修好条規(江華島条約)が結ばれた経緯は、上記した通りなのですが、これを朝鮮の教科書は次のように記述しています。「朝鮮は、フランスとアメリカの軍艦を撃退した。そこでアメリカは日本をけしかけて鎖国を力づくでこじ開けた」

これでは、フランスやアメリカより日本の方が強かったということになってしまいます。そして日本は手先に使われただけで、朝鮮を開国させたのはアメリカだ、と説明しています。日本に負けたことは許せないが、アメリカに負けたのは仕方がない、という気持ちがにじみ出ている説明です。

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