三国干渉に屈した日本を捨てて、朝鮮王はロシアを選んだ

日清戦争の原因を調べていくうちに、私は次のようなことを理解しました。
1)朝鮮人には、国益という発想がない
2)清は、朝鮮を完全な属国としようとしていた
3)日本は、朝鮮を自立させようとしていた
4)日本の歴史学者の多くは、日本がすべて悪いという色眼鏡でものを見る

日清戦争で敗けた清は、朝鮮との宗主国関係を廃棄することになり、日本に対し賠償金の支払いと領土の割譲をおこなうことになりました。そのうちの、遼東半島を日本に割譲することにロシアが異議を唱え、三国干渉を行い日本がそれに屈したことは、みなさんもご存じだと思います。

「なんだ、日本よりロシアの方が強いじゃないか」というわけで朝鮮人は、日本からロシアに乗り換えました。朝鮮人というのは、非常に分かりやすいです。国王の高宗が王宮を捨てて、ロシア公使館で一年ぐらい暮らしていたこともあります。

高宗もその妻の閔妃も、ロシア公使夫妻と友達関係にありました。この夫婦の頭の中には、ロシア-清-朝鮮―日本という序列があったようで、その発想の基にあったのは身分差別です。朝鮮はもの凄い差別社会で、その差別のひどさはインドのカースト並みです。

日本人が最低ランクなのは、朝鮮にやってきた外交官や軍人がみな下級武士出身だったからです。朝鮮では武官は文官よりはるかに身分が下で、下級武士出身者などの悪い育ちの者は、本来なら国王夫妻と話しが出来る身分ではないのです。しかも日本人自体が、華夷秩序内では朝鮮人より下なのです。

清の袁世凱は、科挙試験に失敗した者なので、読書階級です。その点では身分的にはまあまあなのですが、清は満州人という野蛮人が作った王朝なので、その点でランクが下がるわけです。その点、ロシア公使のウェーバーは貴族だったので、最上ランクになったのでしょう。ロシア帝国の前身であるモスクワ大公国が、朝鮮人が軽蔑するモンゴル人の帝国の徴税請負人となって富を蓄えた事実は、その際に考慮しなかったようです。

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