日本の教科書では、「日本は到底かなわないと思っていた大国の清と戦争して勝った」と書いていますが、実際には、日清戦争は日本と李鴻章が率いる北洋軍閥との間の戦争でした。日本の指導者たちは、清が一枚岩ではないことを知って、戦争を計画しています。
袁世凱が大院君を朝鮮に連れ帰ったのだから大院君は清に恩義を感じるはずだ、と日本人は考えますが、朝鮮人は違います。大院君はその都度、清と日本の間をふらふらしていました。そして、彼の最も重要な課題の解決を図りました。それは朝鮮のために何かをするということではなく、嫁の閔妃をやっつけることでした。
大院君
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長男 次男(国王 高宗) = 閔妃
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永宣君 世継ぎ
大院君の次男が国王(高宗)になり、その正妻である閔妃が生んだ息子が正式の世継ぎになっていました。そこでこの世継ぎを廃嫡して、自分の長男の長男である永宣君を世継ぎにすることで閔妃をやっつけることを、大院君は思いつきました。
数十万の東学党の農民軍を上京させて、永宣君の世継ぎ擁立を提唱させようとしたのです。そして農民軍討伐を名目として朝鮮軍を出動させ清にも応援要請をして、その兵力で日本軍をも追い出そうとしました。ところがこの陰謀を契機として、日清戦争(1894年~1895年)が起きてしまいました。
日清戦争が起きた説明は、一般に下記のようにされています。「朝鮮で東学党の反乱が起きたため、朝鮮政府は清に鎮圧のために軍の派遣を要請した。清軍が朝鮮に派兵したので、日本も天津条約に基づき派兵した。清軍が鎮圧する前に東学党の乱は鎮圧されたので、朝鮮は兵の撤退を要請したが、どちらも受け入れず、戦争が始まった」
私はこのような説明に納得せずに色々調べていたら、上記のように、舅と嫁の権力争いが日清戦争の原因だということが分かってきたのです。